映画「ロケットマン 」※ネタバレあり
エルトン・ジョンの栄光の裏に隠された、知られざる生い立ちとは
あらすじ
ミュージシャン、エルトン・ジョンの自伝的映画。並外れた音楽の才能でまたたく間にスターへの階段を駆け上がっていった一方で、様々な困難や苦悩にも満ちたエルトン・ジョンの知られざる半生を、「ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」や「ロケット・マン」など数々のヒット曲にのせたミュージカルシーンを交えて描いていく。イギリス郊外の町で両親の愛を得られずに育った少年レジナルド(レジー)・ドワイトは、唯一、音楽の才能には恵まれていた。やがてロックに傾倒し、ミュージシャンを目指すことを決意したレジーは、「エルトン・ジョン」という新たな名前で音楽活動を始める。そして、後に生涯の友となる作詞家バーニー・トーピンとの運命的な出会いをきっかけに、成功への道をひた走っていくが……
感想
★★★★☆
エルトンの感動的な音楽からは想像も出来ない孤独が彼を蝕んでいたという事実。家族の愛情がいかに大切であるか、その愛情を知らずに育った人間の孤独を知った。
「ボヘミアンラプソディー」と異なるのは、歌が誕生した時系列で流れるのではなく、あくまでもエルトン・ジョンの人生先行でそこに合う音楽を入れている、ミュージカル映画であるという事。なのでこれはミュージシャンとしてのエルトンの半生ではなく、ひとりの人間としての自伝映画である。
なので、ボヘミアンの時のよりも音楽性やライブ感は抑え、エルトンの苦悩や葛藤、そこに音楽が添えられていた印象。歌の入りが凄く自然で、演出が非常に上手でした。
タロン・エガートンの歌が最高
歌を聴かせるとなると、出演者の歌が気になるところだが、とにかくみんな歌も踊りも上手すぎて。特に主演のタロンくんはお見事。
エルトン・ジョンが乗り移ったかのような見た目でありながらも、歌も違和感なく引き込まれた。子ども時代のエルトンも上手よね。エンドロールでエルトン本人の幼少期の顔写真出てきたけどめちゃ似てたよね。
孤独の始まりは子供時代
親から愛されることがなかったエルトン。ハグして欲しい時にハグしてもらえなかった。必要な時期に必要な愛情を注がれることがなかった彼は、成長してもひたすら愛を求めている。心は子ども時代で止まってしまった。どんなに満たされだと思っても満たされることはなかった。どんなに賞賛を浴びてもそれで満足することができなかった。愛されたい気持ちが人一倍強く、そして脆かった。彼が一番求めていたのは恋人でも才能を認めてくれる人でもファンでもなく、父親と母親の愛情だけだったのかと。残酷なことに、自分がどんなに有名になっても愛情がエルトンに向くことはなかった。とても可哀相だ。
それと反比例するかのように彼は音楽の才能を持ち合わせていた。この辛い現実と対比するかのような素晴らしい才能を得て自らの力で成長させてきた。この彼の満たされない想いは音楽の原動力になったはず。しかしそれでもあまりにも代償が大きく、その満たされなかった愛情は彼自身の心にぽっかりと穴が空き、彼は薬、アルコール、性、食の依存症を患い、自殺未遂まで起こした。この現実を知った今、エルトンの曲が非常と尊い。
ラストのI'm will standingが私の中でのエルトンの始まりであった
個人的に1番好きな曲だったという事、アレンジが最高だったこと(スローテンポからの始まりと、PV再現でそのままエンドロールを迎える)もあり、うれしかったなあ。あのラストを観にまた行きたいぐらい。音楽の力ってすごいな。楽しいとか嬉しいとか悲しいとか、どの感情かがわからないけど心が動いて、高揚感があって、「感動した」という言葉がしっくりくる。この作品もそうだ。彼の半生はすごく悲しくて苦しい。なのに彼の音楽を聴くと、悲しいとか苦しいとは別の、プラスな気持ちが生まれる。自然と笑みがこぼれていたと思う。
音楽があるからエルトンの物語は救われた。
映画「ライオン・キング」※ネタバレあり
忘れるなシンバ、自分が何者なのか
あらすじ
アフリカの広大なサバンナで、動物たちの王であるライオンのムファサの子として生まれたシンバは、いつか父のような偉大な王になることを夢見ながら成長していく。しかし、ある時、王位を狙う叔父スカーの策略によって父の命を奪われ、シンバ自身もサバンナを追われてしまう。やがてたどりついた緑豊かなジャングルで、イボイノシシのプンバァとミーアキャットのティモンといった新たな仲間との出会いを得たシンバは、過去を忘れて穏やかに時を過ごしていく。一方、スカーが支配するサバンナは次第に荒れ果て、存続の危機が迫っていた。
感想
★★★★★
超実写は超完璧すぎる実写でした。
吹き替えで観ましたが、ティモン&プンバァ最高でしたわ。
超実写はネイチャー映画と壮大なドラマ
高画質でネイチャー映画を観ているようで、その大自然と壮大な音楽が合わさって、それだけでも泣ける。キャラクターの表情が乏しい問題が気になるかと思いきや、私は気になりませんでした。声を当てている俳優さんたちの技量のおかげもあり、表情が自然と見えてきて物語に没頭できました。
ライオンは寝ているの実写の演出が好き
超実写を観て再確認したのが、ティモンとプンバァ最高!ということ。二人の掛け合いはもちろん、歌のハミングも最高。「ハクナマタタ」は有名ですが、「ライオンは寝ている」が個人的にお気に入りで何度もリピートしています。プンバァのリズムにティモンの歌声がのびるのびーる。そして他の動物たちの足踏みやハミング、自然の音たちが合わさり、とても軽快で聴いて気持ちが良い。
ライオンキングの教え
ムファサは「ライオンも死ねば草となり、その草を草食動物が食べ、その草食動物をライオンが食べる。全てのものはめぐりめぐる偉大な生命の調和に結びついている。王としてそれを理解し、全ての生命を尊重すべきである」と、シンバに「サークル・オブ・ライフ(命の連鎖)」の理念を教えます。
そのあとシンバはハクナマタタ、「悩まずに生きる、心配ないさ、どうにかなるさ」をティモンとプンバァから教えられます。ちなみにティモンとプンバァは「命は一本の線であり、その線の一番下に来た時が人生の終わり」であると言っています。
ライオンキングは大きく分けると2部構成であり、ムファサとティモン・プンバァ達の対になりそうな2つの教えがあります。
今回の超実写を観て、改めて考えてみた。
シンバにとって、幼い頃にはムファサの教えの意味を理解できなかった。そしてムファサの死をきっかけにトラウマを背負ったシンバには、ハクナマタタの精神には救われた。成長する中で、命が一本線である事に疑問を抱き、王としての素質に気づき、大人になって、ムファサの教えであるサークルオブライフの意味を理解する。
このシンバの成長を通して、色んな考えが、誰かにとって必要であり救われることがある。正解はない。でもライオンキングの世界は、サークルオブライフそのものであることはわかる。
大人になってみると、同じ作品でも違った見方が生まれる。シンバが昆虫を食べて大きくなることに疑問を抱いてしまうのも大人になってから…。
映画「天気の子」※ネタバレあり
これは僕の彼女だけが知っている世界の秘密についての物語
あらすじ
離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。そんな彼の今後を示唆するかのように、連日雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があり……。
感想
★★☆☆☆
うーーーん。ストーリーにハマれませんでした。音楽も「君の名は」と比べてしまっては、盛り上がりに欠けました。新海監督の想い、わからず。すまぬ。
ちょっと壮大すぎてついていけず
新海監督が作る映像美も好きですが、リアルな日常から切り取られた小さな幸せや、奇跡のような人との出会い、そんなボーイミーツガールな物語が好きです。
ベースにはこの現実社会があり、その中にある“表現としてのファンタジー”要素や演出が、「君の名は」まではあると思っていて。「君の名は」も非現実的な要素はあったが、それは非日常として処理できた。本当は知らないだけで、あるかもしれないという想像を掻き立てられるような現実と非現実の狭間を感じられた。これは主人公とヒロイン以外が日常パートをしっかり支えており、怪奇現象と捉えられぐらい行き過ぎた演出ではなかった。だが本作は地に足がついていないように感じてしまった。
「ジュラシック・パークⅢ」のような、現実世界にやばいファンタジーが放たれてしまった感のラスト…
世界観についていけず
ファンタジーはしっかりとした世界観を作らないと、観ている方は置いていかれるし冷める。なんでもありな展開に感じてしまい、なんでもよくなると、みんな都合のいいように物語が作れちゃう感じに取れてしまった。これは「天気の子」の街の再現率が非常に高く、そしてタイアップが多すぎて妙にリアルだったことが居心地の悪さを助長する結果となった。これに私が引っかかってしまったのがあかんかったのです。
主人公についていけず
穂高の幼稚さと衝動性が気になってしまいました。気になってしまったのはきっと、彼を応援したいと思わせるほど好きになれなかったから。純粋で優しくて良い子なんだけど、それだけでは代償は大きすぎた。いろんな人たちの犠牲を払ってまでも彼を応援したいと思わせる彼の人間性が読み取れず。一番のキーになると思っていた彼の家出の理由を明かされることなく、あんなに実家に帰りたくないと頑なだったからそれ相応の理由があり、それをぴっぱるなぁと思っていたら、「あれ、明かさないや 笑」という。その後保護観察により実家に戻り高校生活をあっさりと終わらせる。
そして穂高を残念と決定付けたのは、陽菜が自分が消えるかもしれないという恐怖と戦い、そして次に晴れを願ったら自分は消えると確信があった時に、穂高に「雨がやんでほしいと思う?」と聞くと、彼は簡単に「うん」と答えてしまう。いくら知らなかったとはいえ、これが私の中ではアウトでした。
応援できん!!
そしてそのあと陽菜が消えてから暴走です。
陽菜が好きでずっと一緒にいたいという気持ちが先行しすぎていて、ほかの人たちやそれこそ、陽菜の気持ちを聞いたことがあったのだろうかと感じてしまい。
世界の調和より大切な人を守りたいという気持ち、そういう人間臭さというか、綺麗事なく貫くことは嫌いじゃない。ただそれを応援したいと思える主人公ではなかったということ。
そして私が引っかかったところは、きっと本作では「そこじゃないよ」ということだと思う。「よかった」という身近な人がいたら感想を聞いて消化していこうと思います。
ちなみに好きなキャラは夏美さんと凪先輩でした。
映画「トイストーリー4」※ネタバレあり
あなたはまだ、本当の「トイストーリを」知らない。
感想
★★★★★
観終わった後…ウッディの選択に…涙が。(これ続編ないのかな!?)
ウッディの分岐点を描いた本作、新たな物語が始まったと思った。と同時に、時代が変わったとも感じた。
前作の完璧なエンディング、からの今作のテーマとは?
これを事前に入れていなかったので、ラストのウッディの選択に一瞬ついていけない事態が起こりました。
3までは、アンディとそのおもちゃであるウッディの物語。そして申し分のない完璧な完結。そして本作は、ウッディというひとりの“おもちゃ”としての成長物語であった。
難しいところは、アンディから譲り受けたボニーに忠誠を尽くすこと=アンディとの絆とも考えることもできます。ただ上記で述べたように、アンディとウッディの物語が完結したのであれば、新たな物語の始まりともいえます。
おもちゃにとっての幸せとは?
これが本作の大事な要素であるのは間違いないかと。これって本当に何がおもちゃにとっての幸せなのかが今までわかってそうで、明確でなかったことに切り込んでいると思っていて。例えば、子どもに遊んでもらうことが幸せだとしても、3のサニーサイドで、おもちゃと遊ぶにはまだ幼い子たちに散々な使われ方をしたときは、誰も幸せを感じてはいなかったはず。
そしたら、大事に扱ってもらうことが幸せと考えてみると、確か2で博物館に飾られたいと願ったプロスペクターがいたかと思いますが、それをウッディ達は望まなかった。(ジブリの「耳をすませば」のバロンじゃないですが、持ち主に愛されて“大切に飾られる”ということも幸せの形ではないのかとか。しかしあれは遊ぶおもちゃではなく骨董品のようなものなら参考になるのかどうか)
そして、持ち主が変わってもまた遊んでもらえてたら幸せであることは、ウッディの仲間達皆か感じていたことであるのは間違いないかと。(ジェシーに関してはボニーで3人目である)
つまり幸せは人間同様、おもちゃもそれぞれなんだってこと。
それを踏まえた本作です。
ウッディは古いタイプのおもちゃであるということ
ウッディ自身も作中で言っていました、自分は古いタイプであると。古いタイプ=古い考えと置き換えた場合、今回のボーとの再会はウッディにとって衝撃的出会いですね。(いろんな意味で)
人間社会でいう、定年まで同じ会社で働いているとか、どこかしらの会社に属しているといったところが持ち主となるのでしょうか。ボーたちのような、誰か持ち主がいないことはフリーランスのような感じでしょうか。肩苦しい考え方はやめましょう←(作中では迷子との表現がありますが、これはよくない表現であり差別的に聞こえてきます)
ディズ二ーて、子供も大人も楽しめる映画をよく作れるなあ
ディズニー映画は、時代に合わせた作品をつくるのに本当に長けています。
トイストーリー1は1995年公開で、いまは2019年ですよ。24年ですって。同じシリーズ、設定、キャラクター、音楽。でも全然古くないし、むしろ時代の一歩先、もっと先を見据えている。だからまた考えさせられる。その時に新キャラクターがそれを引っ張っていってくれますね。
フォーキーは想像以上に今作に必要なキャラクターであった。
本人はゴミだと思い、早くゴミ箱に入って捨てられたいと思っています。それはフォーキーにとっては普通のこと。むしろそっちの方が安心だしそれを望んでいる。
そして、自立した女性に変貌したボーピープ!相変わらず女性像の確立に待ったをかけないディズニーです。
トイストーリーをみて時代の変化をまじまじと見せつけられるとは、本当にすごいとしか言いようがない。
ウッディの選択は賛否両論ありました
今までのウッディを見てきた人ならラストの選択には驚いたはず。少なくとも私は。
とはいえ、ウッディに至っては、アンディという大きな役目を終えたこと、ボニーに最近遊んでもらえなくなったこと、苦楽を共にした信頼できる仲間たちとの絆など、いろんな要素を踏まえ、新たなおもちゃ達との出会いやボイスボックスのくだりをみても、第二の人生の選択するタイミングとしても合っていたということでしょう。
つまり、伏線はいくつもちりばめられていた経過をみると、これを書いてる頃には受け止められました。
とんだ成長物語だと。自分の価値観を変えるほどの出来事が4にはある。
これが令和の洗礼か(日本しか通じませんね)
でもそう思うほど時代は変わった!ってトイストーリーシリーズでこれでもかと感じた。
ここまでトイストーリーについて考えたのは4があったから。3までならここまで自分のいろんな感情が湧き上がる事はなかった。
最後に、
シリーズものは1作目が一番面白かったってよくあることで。
ただトイストーリーシリーズに至ってはみじんも感じたことはない。商業的な生産映画ではなく、製作スタッフの方々の愛情を感じてはやみません。
「無限の彼方へ、さあ行くぞ!」これに尽きる。
ウッディとバズの友情も最高であった。
映画「アマンダと僕」※ネタバレあり
突然の悲劇で肉親を失った青年と少女の絆を描いたヒューマンドラマ
あらすじ
パリに暮らす24歳の青年ダヴィッドは、恋人レナと穏やかで幸せな日々を送っていたが、ある日、突然の悲劇で姉のサンドリーヌが帰らぬ人になってしまう。サンドリーヌには7歳の娘アマンダがおり、残されたアマンダの面倒をダヴィッドが見ることになる。仲良しだった姉を亡くした悲しみに加え、7歳の少女の親代わりという重荷を背負ったダヴィッド。一方の幼いアマンダも、まだ母親の死を受け入れることができずにいた。それぞれに深い悲しみを抱える2人だったが、ともに暮らしていくうちに、次第に絆が生まれていく。
感想
★★★☆☆
演出は優しいけど、内容は厳しすぎる。
主人公は24歳だったのね。まだこの現実を受け止めるには重すぎる。
予告は観てたので、ダヴィッドの姉が亡くなってしまう事はわかっていたけれど、亡くなる前の日常もしっかりと描かれていました。
なので余計悲しかった。しかも事故かと思ったらテロ事件ですし、姉だけでなく、姉を含むダヴィッドの知り合い達が巻き込まれた、とても悲惨な出来事となったのです。
残された2人
アマンダは幼くして母親がいなくなるという現実をどう受け止めたのだろうか。
ダヴィッドはアマンダの後見人となる事をいつ決めたのだろうか。
そこら辺の描写は非常にわかりづらい。泣く描写や寂しい気持ち、戸惑う気持ちは感じるけど、2人の中で亡くなったサンドリーヌに関する話は、一切交わす事なく終わるからだ。
この話の中では、ダヴィッドはアマンダと一緒にいる事を選択したところで終わり、2人が前へと進んでいく、サンドリーヌの死を受け入れるところまではいっていないと思う。
そしてダヴィッドと恋仲であったレナとの関係も曖昧なもので終わる。
大切な人が突然、この世からいなくなったら
もしくは大切な人と今までの関係が突然築けなくなったら。
人生は待ってくれませんからね。
大きな災害でも起きないかぎり日常は変わらない。
取り残された自分もまたつらい。
守りたい家族や大切な人がいるなら、この防ぎようがないテロによって日常の幸せが一瞬で消えてしまうこの映画を普通に見れないだろうと思いました。
ただ、同じ悲しみを味わったアマンダとダヴィッドの絆は一生ものだと思った。
映画「世界にひとつのプレイブック」※ネタバレあり
少しイカれた君が、なぜか希望の光
あらすじ
妻の浮気が原因で心のバランスを崩したパットは、仕事も家も失い、両親とともに実家暮らし。いつか妻とよりを戻そうと奮闘していたある日、事故で夫を亡くして心に傷を抱えた女性ティファニーに出会う。愛らしい容姿とは裏腹に、過激な発言と突飛な行動を繰り返すティファニーに振り回されるパットだったが……
それぞれに最愛の人を失い心に傷を負った男女が再生していく姿を、笑いや涙を交えて描いたヒューマンコメディ。
感想
★★★★★
後半にかけて畳み掛けるような面白さ。
全体的にわかりやすいストーリー、丁寧な演出が好感。そして最後はリトルミスのような、おかしな家族たちの一体感が妙に笑えて、お気に入りの一本になりました。
誰にでも人生「自分はイカれている(た)」と思う事はある
「人生は苦行」「死にはしないけど生きてるのはつらい」「人生疲れた」という感情が渦巻いている人に特にオススメしたい。
人生でつらい時期はおそらく誰にでもあって、「今の自分は最高にやばい状態」もしくは「あの時の自分は最高にやばい状態だった」時がある。
そんなちょうどやばい状態の主人公2人が織りなすヒューマンコメディはとにかく危なっかしい。
不安定同士が一緒にいれば、どちらかが支えるということが出来ないので、どっちも倒れるはずなんだけど。ちょうどいい具合に一緒に倒れて、人という形を保ってるような感じ。側から見れば不安定極まりないんだけど。
この2人は気を遣えるほど余裕がなく、正直だし、よくぶつかっている。というか純粋で正直な人ほど潰れやすいとも言える。その不安定さと純粋さがシュールすぎる。この映画のコメディとはそういう笑いです。
ティファニー役のジェニファーローレンスが魅力的
観ていてとても惹かれました。ジェニファーローレンスと同い年という事実も驚き(もっと大人な印象でした)、パット役のブラッドレイ・クーパーとは15歳差だけど役ではそんなの微塵も感じない。(パットが精神年齢低いっていうのもあるが)
そんでもってティファニーのキャラがとにかく最高なんです。パットがティファニーとの約束をドタキャンしたせいで、ティファニーが怒り心頭でパット家に乗り込んでくるシーンは見もの。
ティファニーが周りを畳み掛けまくる。アメフト興味ないのになんで試合の結果に詳しいねん…ニューヨーク州のモットーを知ってるねん…名探偵なのか。
とにかく誰も彼女の見解に論破できないところが笑える。
ラスト、ダンスのコンクールのシーンでまさかの展開
ダンスシーンは、終始ハラハラ。これどうなっちゃうんだろう、みたいな。しかもダンスのスコアが賭け事にされてちゃってる手前(ダンスの平均スコア5.0以上とってアメフトの試合でイーグルスが勝たないとパット家は事実上破綻する)これ大丈夫か?って。
で結果はイーグルス勝利し、ダンスのスコアもまさかの5.0ジャスト。
ほかの参加者達から、気を落とさないで…て言われてるけど、賭け事には勝ったパット家族たちはこんな低いスコアでも大盛り上がり。
おかしな家族達の一体感と、何も知らない周りとの温度差がまたもシュール。最高。
ラストもハッピー?エンドで、元気が出る映画に認定。
映画「アラジン」※ネタバレあり
愛は冒険を生む。冒険が愛を育てる。
あらすじ
生きるために盗みを働きながらも真っ直ぐな心を持ち、人生を変えるチャンスをつかもうとしている青年アラジンと、自立した心と強い好奇心を抱き、自由に憧れる王女ジャスミン。2人の運命的な出会いをきっかけに、それぞれの願いは動き始める。そしてアラジンは、邪悪な大臣ジャファーの甘い誘いに乗り、魔法の洞窟からランプを引き受けるが……。
感想
★★★★★
実写版アラジン、最高かよ。
ディズニーアニメ版が大好きだから、気にはなっていたけど、ウィルスミス演じるジーニーを予告で見たときに、インパクト強すぎて「これ大丈夫かよ」って思っちゃって。観るの躊躇ってたんだけど、山ちゃんがジーニーの吹き替えやるって聞いたから、観に行きました。
もちろん、山ちゃんのジーニー最高だった。でもそれだけじゃなくって、実写版アラジン最高だった。
(※最高というワードがたくさん出てきます)
主演の二人がめちゃくちゃ好きなったよね
アラジン役のメナ・マスードはお髭があって、初めは抵抗があったんだけど、アクションかっこいいし、表情がアラジンそっくりですぐ好きになった。特に笑顔と困り顔の表情が最高で、愛らしくてかわいらしい。
ジャスミン役のナオミ・スコットはとにかく美人!目がキラキラしてて、ジャスミンの知的ででも好奇心旺盛なところ、そのバランスが見事に一致。
そしてなんといっても、2人がとにかくお似合い。最高のカップル。映画館では吹き替えだったけど、そのあとCD聞いたら二人とも歌がうまいのなんの。デュエット聴いて声の相性もよいね。ナオミスコットの澄み渡る力強い歌声惚れます。
個々のキャラクターに対する好き度が大きいのもアラジンの魅力
アラジンの好きなポイントとして大きいのが、ストーリーもよいけど、個々のキャラクター達がとにかく面白くて愛らしいってところ。それが実写版でも変わらず受け継がれていたというところが素晴らしかった。アラジンとジャスミン大好き。ジーニーは最高。ジャファーもヴィランの中ではかなり好き。アブーも魔法の絨毯もラジャーも愛らしい。イアーゴはアニメ版ぐらい喋ってくれてもよかったかなぁと思ったけれど。
とにかくみんな友達になりたい。
あ、でもひとつだけ言わせてほしい。
アニメ版のジャスミンのパパ、ビジュアルがとにかく好きなんです。ふもふもしてて。だから実写版のパパの素材はとても良かったけど、もっとふもふもして欲しかった。ヒゲのボリューム少ない、衣装ももっとふかふかして。なんていうか全体的なふもふも感足りないぞ!!!(実写にはいらない要素だったとしても)
実写版で唯一気になるのは、装飾のふもふも感が足りないことかしら。以上。
歌のパートで涙
ホールニューワールドで映像含め、最高です。アラン・メンケン最高。
CDで実写版アラジンめちゃ聴いています。メナ・マスードとナオミ・スコットの歌声好きだな。今度は字幕で観ようかな。
そしてウィルスミスも良いけど、ジーニーだけは山ちゃん推し…ホント、幼少期から聴いている声なのでこればっかりはしょうがない。
ディズニーの女性の描き方とダリアの存在
実写はアニメ版の良さを忠実に再現しているが、そこに今の時代にマッチした演出も自然と加えている。それがアニメ版には登場していない、ジャスミンの待女ダリアである。
ジャスミンのお姉さんのような親友のような立ち位置で、物語に彩りを加える。そしてジーニーをより人間に近づけた人でもある。
ディズニー映画観るとこの話になるのですが。
ディズニーは、時代に合わせて新しいプリンセス像を作り出すのがとにかく上手い。男性に守られる存在ではなく、女性の意思や力強さが本作でも感じられた。これはアニメ版にはなかった、ジャスミンの意思を反映したソロの歌があることからもわかる。そして、ジャスミンが次の国王になることからも覗える。
そしてアニメ版とのジャスミンの違いを自然に引き出したのが、ダリアである。ここがより実写版を好きなった要因です。
そうそう。アニメ版では、商人がアラジンの冒険を聞かせるところから物語は始まりますが、実写版は、人間になったジーニーが自分の子どもに聞かせるんですよね。この演出は最高です。
映画って、実写の良さとアニメの良さってあると思うんですが、アラジンはアニメ版の良いところとしっかりと受け継ぎ、実写のリアル感をうまく盛り込み、そして今の時代に寄り添った演出をした。これが、実写版アラジンが最高!と評した理由です。