映画「トールキン・旅のはじまり」※ネタバレあり
あの壮大な冒険物語は、愛と友情、そして勇気から生まれたあらすじ
冒険ファンタジー映画「ロード・オブ・ザ・リング」「ホビット」3部作の原作者J・R・R・トールキンの前半生を描いた伝記ドラマ。3歳で父を失くし、イギリスの田園で母と弟と暮らしていたトールキンは、母親の急死により12歳で孤児となってしまうが、母親の友人で後見人となってくれたモーガン神父のサポートにより、名門キング・エドワード校への入学を果たす。そこでトールキンは3人の仲間と出会い、「芸術で世界を変えよう」と互いに誓い合う。16歳になったトールキンは年上の女性エディスと恋に落ちるが、神父からその交際を厳しく禁じられてしまう。そしてぼっ発した第1世界大戦がトールキンと仲間たちの運命を大きく変えていく。
感想
★★★☆☆
秘密結社「T.C.B.S.」楽しそうだったなぁ。
少年や青年たちの青春友情物語が大好物なので、そこが一番印象に残っていて見てて面白かったなと。指輪物語の作者の話っていうところが先行してしまっていたので、思っていた作品とは違いましたが、そこを抜きにしてみると悲しくも素敵な話だと思いました。
秘密結社「T.C.B.S.」
学生あるあるというか、グループに名前をつけてルールを作って結束させるみたいな。振り返るとちょっと恥ずかしくてダサいんだけど、それが楽しくて。
ちなみに秘密結社「T.C.B.S.」は芸術で世界を変えるという目的で、それぞれ音楽や詩や小説に打ち込むわけですが、結構みんな才能があるからこれまた面白い。
それとトールキンたちの友情を見てるとなんだか羨ましくなります。それほど一緒にいて楽しくてなんでも言い合える大切な仲間がいるって財産だなと。
トールキンの前半生
これは指輪物語が生まれる物語というよりは、トールキンというひとりの人間の物語である。
もちろん、指輪物語を彷彿とさせるワードや描写はありましたし、指輪物語の作者だから妙に4人の友情物語をフロドたちに繋げたくなりますが、全体を通して見ると、トールキンという人物のこと、生い立ちが知れたかなと思いました。
戦争を経験したトールキンが創造したもの
トールキンは、兵士として参加した第一次世界大戦の中でも最も苛烈な激戦だったと言われている「ソンムの戦い」に出陣します。人を殺すために作られた兵器が続々と実践投入されたこのソンムの戦いを、作中においては、火炎放射器がドラゴンの炎に見えたり、炎や煙が怪物に見えたり、毒ガスが闇のように包まれる描写がありました。もちろんこれはトールキンの想像上の演出ではありますが、指輪物語のダークさ、争いのシーンは間違いなく影響を受けているはず。あの醜さやおどろおどろしさはこういった体験から来てるんだなと。
トールキンと言語
トールキンは幼い頃から架空の言語を作るのが好きで、のちにエルフ語につながる訳です。トールキンがここまで言語に魅力を感じ、大切にしていて、自分で創造するまでに没頭したのか。そこを知るに行き着くことはできないが、言語学者の恩師と出会ってから、トールキンの才能は本当の意味で開花したんだなと思いました。
ラスト、トールキンが指輪物語を家族に聞かせて終わるところは希望でしたが、戦争で失った仲間たちを思うとつらい。前半楽しかった分、そこがのしかかってきて、個人的には悲しい気持ちが勝ってしまいました。
映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」※ネタバレあり
1969年8月9日、事件は起こった。この2人にも。
あらすじ
テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと、リックを支える付き人でスタントマンのクリス・ブース。目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに神経をすり減らすリックと、いつも自分らしさを失わないクリフは対照的だったが、2人は固い友情で結ばれていた。最近、リックの暮らす家の隣には、「ローズマリーの赤ちゃん」などを手がけて一躍時代の寵児となった気鋭の映画監督ロマン・ポランスキーと、その妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してきていた。今まさに光り輝いているポランスキー夫妻を目の当たりにしたリックは、自分も俳優として再び輝くため、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演することを決意する。そして1969年8月9日、彼らの人生を巻き込み、ある事件が発生する。
感想
★★★★★
興奮した!!!本作は、映画を観る前にしっかり原案を予習しました。1969年アメリカハリウッドについて。そしてその後のハリウッドについて。予習しておくことが必要である作品であると言えます。
本当の歴史とフィクションが交差する
まずこの映画の土台にあるのが1969年のハリウッド。その終末となるのが「シャロンテート殺害事件」と実行を命じたチャールズ・マンソンという人物。この2つを最低でも予習しておくと、ラストの結末に救われる。
実際マンソンが登場したのは1回。しかも数秒。そのあとは名前だけやマンソンが率いるカルト集団のマンソンファミリーの面々が登場します。そこのシーンは本当に不気味で異様で、洗脳の恐ろしさが垣間見れます。
実在の登場人物たちがリアルに描かれていますし、時系列もそのまま。
だけど、そこにリックダルトンという少し落ちぶれたハリウッド俳優とクリフブースというリックのスタントマン件お世話役の2人が当時のハリウッドに存在することによって、歴史が大きく変わるということです。(タイムトラベルではありません)
作中、リック達とシャロンはずっと交わることはない。ただ、家がお隣さん。これ一番大事ですよ。
そしてあのシャロン・テート殺害事件が起こった当日、2つの世界が交じり合い、素晴らしい化学反応を起こして、マンソンファミリーらはクリフと愛犬のブランディにこれでもかとボッコボコにやられます。 (タランティーノの怒りを感じる)
警察も来て、クリフは負傷し病院送り、事態は終結した後に、リックはお隣のシャロンやその友人たちに家に招かれ、その夜を共にするという、めでたしめでたしなエンディングなのです。
アナザーストーリーであり、あの惨劇が少しでも救われるように、タランティーノの気持ちがこれでもかと伝わってきては、そこに感動した。シャロンとその友人たちが生きている、そこにリックが交わる。夢のような本当に素敵な物語。
さて、タランティーノ監督のアクションシーンはこれでもかってぐらいボコボコにやられるのて目をふさぎたくなる。でもブラピは最高にかっこいいし、プリオは最高に面白くてかわいいし、このコンビ最高でした。
エンドロールで「最高…」とぽろっと口に出した気がする。
映画「ロケットマン 」※ネタバレあり
エルトン・ジョンの栄光の裏に隠された、知られざる生い立ちとは
あらすじ
ミュージシャン、エルトン・ジョンの自伝的映画。並外れた音楽の才能でまたたく間にスターへの階段を駆け上がっていった一方で、様々な困難や苦悩にも満ちたエルトン・ジョンの知られざる半生を、「ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」や「ロケット・マン」など数々のヒット曲にのせたミュージカルシーンを交えて描いていく。イギリス郊外の町で両親の愛を得られずに育った少年レジナルド(レジー)・ドワイトは、唯一、音楽の才能には恵まれていた。やがてロックに傾倒し、ミュージシャンを目指すことを決意したレジーは、「エルトン・ジョン」という新たな名前で音楽活動を始める。そして、後に生涯の友となる作詞家バーニー・トーピンとの運命的な出会いをきっかけに、成功への道をひた走っていくが……
感想
★★★★☆
エルトンの感動的な音楽からは想像も出来ない孤独が彼を蝕んでいたという事実。家族の愛情がいかに大切であるか、その愛情を知らずに育った人間の孤独を知った。
「ボヘミアンラプソディー」と異なるのは、歌が誕生した時系列で流れるのではなく、あくまでもエルトン・ジョンの人生先行でそこに合う音楽を入れている、ミュージカル映画であるという事。なのでこれはミュージシャンとしてのエルトンの半生ではなく、ひとりの人間としての自伝映画である。
なので、ボヘミアンの時のよりも音楽性やライブ感は抑え、エルトンの苦悩や葛藤、そこに音楽が添えられていた印象。歌の入りが凄く自然で、演出が非常に上手でした。
タロン・エガートンの歌が最高
歌を聴かせるとなると、出演者の歌が気になるところだが、とにかくみんな歌も踊りも上手すぎて。特に主演のタロンくんはお見事。
エルトン・ジョンが乗り移ったかのような見た目でありながらも、歌も違和感なく引き込まれた。子ども時代のエルトンも上手よね。エンドロールでエルトン本人の幼少期の顔写真出てきたけどめちゃ似てたよね。
孤独の始まりは子供時代
親から愛されることがなかったエルトン。ハグして欲しい時にハグしてもらえなかった。必要な時期に必要な愛情を注がれることがなかった彼は、成長してもひたすら愛を求めている。心は子ども時代で止まってしまった。どんなに満たされだと思っても満たされることはなかった。どんなに賞賛を浴びてもそれで満足することができなかった。愛されたい気持ちが人一倍強く、そして脆かった。彼が一番求めていたのは恋人でも才能を認めてくれる人でもファンでもなく、父親と母親の愛情だけだったのかと。残酷なことに、自分がどんなに有名になっても愛情がエルトンに向くことはなかった。とても可哀相だ。
それと反比例するかのように彼は音楽の才能を持ち合わせていた。この辛い現実と対比するかのような素晴らしい才能を得て自らの力で成長させてきた。この彼の満たされない想いは音楽の原動力になったはず。しかしそれでもあまりにも代償が大きく、その満たされなかった愛情は彼自身の心にぽっかりと穴が空き、彼は薬、アルコール、性、食の依存症を患い、自殺未遂まで起こした。この現実を知った今、エルトンの曲が非常と尊い。
ラストのI'm will standingが私の中でのエルトンの始まりであった
個人的に1番好きな曲だったという事、アレンジが最高だったこと(スローテンポからの始まりと、PV再現でそのままエンドロールを迎える)もあり、うれしかったなあ。あのラストを観にまた行きたいぐらい。音楽の力ってすごいな。楽しいとか嬉しいとか悲しいとか、どの感情かがわからないけど心が動いて、高揚感があって、「感動した」という言葉がしっくりくる。この作品もそうだ。彼の半生はすごく悲しくて苦しい。なのに彼の音楽を聴くと、悲しいとか苦しいとは別の、プラスな気持ちが生まれる。自然と笑みがこぼれていたと思う。
音楽があるからエルトンの物語は救われた。
映画「ライオン・キング」※ネタバレあり
忘れるなシンバ、自分が何者なのか
あらすじ
アフリカの広大なサバンナで、動物たちの王であるライオンのムファサの子として生まれたシンバは、いつか父のような偉大な王になることを夢見ながら成長していく。しかし、ある時、王位を狙う叔父スカーの策略によって父の命を奪われ、シンバ自身もサバンナを追われてしまう。やがてたどりついた緑豊かなジャングルで、イボイノシシのプンバァとミーアキャットのティモンといった新たな仲間との出会いを得たシンバは、過去を忘れて穏やかに時を過ごしていく。一方、スカーが支配するサバンナは次第に荒れ果て、存続の危機が迫っていた。
感想
★★★★★
超実写は超完璧すぎる実写でした。
吹き替えで観ましたが、ティモン&プンバァ最高でしたわ。
超実写はネイチャー映画と壮大なドラマ
高画質でネイチャー映画を観ているようで、その大自然と壮大な音楽が合わさって、それだけでも泣ける。キャラクターの表情が乏しい問題が気になるかと思いきや、私は気になりませんでした。声を当てている俳優さんたちの技量のおかげもあり、表情が自然と見えてきて物語に没頭できました。
ライオンは寝ているの実写の演出が好き
超実写を観て再確認したのが、ティモンとプンバァ最高!ということ。二人の掛け合いはもちろん、歌のハミングも最高。「ハクナマタタ」は有名ですが、「ライオンは寝ている」が個人的にお気に入りで何度もリピートしています。プンバァのリズムにティモンの歌声がのびるのびーる。そして他の動物たちの足踏みやハミング、自然の音たちが合わさり、とても軽快で聴いて気持ちが良い。
ライオンキングの教え
ムファサは「ライオンも死ねば草となり、その草を草食動物が食べ、その草食動物をライオンが食べる。全てのものはめぐりめぐる偉大な生命の調和に結びついている。王としてそれを理解し、全ての生命を尊重すべきである」と、シンバに「サークル・オブ・ライフ(命の連鎖)」の理念を教えます。
そのあとシンバはハクナマタタ、「悩まずに生きる、心配ないさ、どうにかなるさ」をティモンとプンバァから教えられます。ちなみにティモンとプンバァは「命は一本の線であり、その線の一番下に来た時が人生の終わり」であると言っています。
ライオンキングは大きく分けると2部構成であり、ムファサとティモン・プンバァ達の対になりそうな2つの教えがあります。
今回の超実写を観て、改めて考えてみた。
シンバにとって、幼い頃にはムファサの教えの意味を理解できなかった。そしてムファサの死をきっかけにトラウマを背負ったシンバには、ハクナマタタの精神には救われた。成長する中で、命が一本線である事に疑問を抱き、王としての素質に気づき、大人になって、ムファサの教えであるサークルオブライフの意味を理解する。
このシンバの成長を通して、色んな考えが、誰かにとって必要であり救われることがある。正解はない。でもライオンキングの世界は、サークルオブライフそのものであることはわかる。
大人になってみると、同じ作品でも違った見方が生まれる。シンバが昆虫を食べて大きくなることに疑問を抱いてしまうのも大人になってから…。
映画「天気の子」※ネタバレあり
これは僕の彼女だけが知っている世界の秘密についての物語
あらすじ
離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。そんな彼の今後を示唆するかのように、連日雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があり……。
感想
★★☆☆☆
うーーーん。ストーリーにハマれませんでした。音楽も「君の名は」と比べてしまっては、盛り上がりに欠けました。新海監督の想い、わからず。すまぬ。
ちょっと壮大すぎてついていけず
新海監督が作る映像美も好きですが、リアルな日常から切り取られた小さな幸せや、奇跡のような人との出会い、そんなボーイミーツガールな物語が好きです。
ベースにはこの現実社会があり、その中にある“表現としてのファンタジー”要素や演出が、「君の名は」まではあると思っていて。「君の名は」も非現実的な要素はあったが、それは非日常として処理できた。本当は知らないだけで、あるかもしれないという想像を掻き立てられるような現実と非現実の狭間を感じられた。これは主人公とヒロイン以外が日常パートをしっかり支えており、怪奇現象と捉えられぐらい行き過ぎた演出ではなかった。だが本作は地に足がついていないように感じてしまった。
「ジュラシック・パークⅢ」のような、現実世界にやばいファンタジーが放たれてしまった感のラスト…
世界観についていけず
ファンタジーはしっかりとした世界観を作らないと、観ている方は置いていかれるし冷める。なんでもありな展開に感じてしまい、なんでもよくなると、みんな都合のいいように物語が作れちゃう感じに取れてしまった。これは「天気の子」の街の再現率が非常に高く、そしてタイアップが多すぎて妙にリアルだったことが居心地の悪さを助長する結果となった。これに私が引っかかってしまったのがあかんかったのです。
主人公についていけず
穂高の幼稚さと衝動性が気になってしまいました。気になってしまったのはきっと、彼を応援したいと思わせるほど好きになれなかったから。純粋で優しくて良い子なんだけど、それだけでは代償は大きすぎた。いろんな人たちの犠牲を払ってまでも彼を応援したいと思わせる彼の人間性が読み取れず。一番のキーになると思っていた彼の家出の理由を明かされることなく、あんなに実家に帰りたくないと頑なだったからそれ相応の理由があり、それをぴっぱるなぁと思っていたら、「あれ、明かさないや 笑」という。その後保護観察により実家に戻り高校生活をあっさりと終わらせる。
そして穂高を残念と決定付けたのは、陽菜が自分が消えるかもしれないという恐怖と戦い、そして次に晴れを願ったら自分は消えると確信があった時に、穂高に「雨がやんでほしいと思う?」と聞くと、彼は簡単に「うん」と答えてしまう。いくら知らなかったとはいえ、これが私の中ではアウトでした。
応援できん!!
そしてそのあと陽菜が消えてから暴走です。
陽菜が好きでずっと一緒にいたいという気持ちが先行しすぎていて、ほかの人たちやそれこそ、陽菜の気持ちを聞いたことがあったのだろうかと感じてしまい。
世界の調和より大切な人を守りたいという気持ち、そういう人間臭さというか、綺麗事なく貫くことは嫌いじゃない。ただそれを応援したいと思える主人公ではなかったということ。
そして私が引っかかったところは、きっと本作では「そこじゃないよ」ということだと思う。「よかった」という身近な人がいたら感想を聞いて消化していこうと思います。
ちなみに好きなキャラは夏美さんと凪先輩でした。
映画「トイストーリー4」※ネタバレあり
あなたはまだ、本当の「トイストーリを」知らない。
感想
★★★★★
観終わった後…ウッディの選択に…涙が。(これ続編ないのかな!?)
ウッディの分岐点を描いた本作、新たな物語が始まったと思った。と同時に、時代が変わったとも感じた。
前作の完璧なエンディング、からの今作のテーマとは?
これを事前に入れていなかったので、ラストのウッディの選択に一瞬ついていけない事態が起こりました。
3までは、アンディとそのおもちゃであるウッディの物語。そして申し分のない完璧な完結。そして本作は、ウッディというひとりの“おもちゃ”としての成長物語であった。
難しいところは、アンディから譲り受けたボニーに忠誠を尽くすこと=アンディとの絆とも考えることもできます。ただ上記で述べたように、アンディとウッディの物語が完結したのであれば、新たな物語の始まりともいえます。
おもちゃにとっての幸せとは?
これが本作の大事な要素であるのは間違いないかと。これって本当に何がおもちゃにとっての幸せなのかが今までわかってそうで、明確でなかったことに切り込んでいると思っていて。例えば、子どもに遊んでもらうことが幸せだとしても、3のサニーサイドで、おもちゃと遊ぶにはまだ幼い子たちに散々な使われ方をしたときは、誰も幸せを感じてはいなかったはず。
そしたら、大事に扱ってもらうことが幸せと考えてみると、確か2で博物館に飾られたいと願ったプロスペクターがいたかと思いますが、それをウッディ達は望まなかった。(ジブリの「耳をすませば」のバロンじゃないですが、持ち主に愛されて“大切に飾られる”ということも幸せの形ではないのかとか。しかしあれは遊ぶおもちゃではなく骨董品のようなものなら参考になるのかどうか)
そして、持ち主が変わってもまた遊んでもらえてたら幸せであることは、ウッディの仲間達皆か感じていたことであるのは間違いないかと。(ジェシーに関してはボニーで3人目である)
つまり幸せは人間同様、おもちゃもそれぞれなんだってこと。
それを踏まえた本作です。
ウッディは古いタイプのおもちゃであるということ
ウッディ自身も作中で言っていました、自分は古いタイプであると。古いタイプ=古い考えと置き換えた場合、今回のボーとの再会はウッディにとって衝撃的出会いですね。(いろんな意味で)
人間社会でいう、定年まで同じ会社で働いているとか、どこかしらの会社に属しているといったところが持ち主となるのでしょうか。ボーたちのような、誰か持ち主がいないことはフリーランスのような感じでしょうか。肩苦しい考え方はやめましょう←(作中では迷子との表現がありますが、これはよくない表現であり差別的に聞こえてきます)
ディズ二ーて、子供も大人も楽しめる映画をよく作れるなあ
ディズニー映画は、時代に合わせた作品をつくるのに本当に長けています。
トイストーリー1は1995年公開で、いまは2019年ですよ。24年ですって。同じシリーズ、設定、キャラクター、音楽。でも全然古くないし、むしろ時代の一歩先、もっと先を見据えている。だからまた考えさせられる。その時に新キャラクターがそれを引っ張っていってくれますね。
フォーキーは想像以上に今作に必要なキャラクターであった。
本人はゴミだと思い、早くゴミ箱に入って捨てられたいと思っています。それはフォーキーにとっては普通のこと。むしろそっちの方が安心だしそれを望んでいる。
そして、自立した女性に変貌したボーピープ!相変わらず女性像の確立に待ったをかけないディズニーです。
トイストーリーをみて時代の変化をまじまじと見せつけられるとは、本当にすごいとしか言いようがない。
ウッディの選択は賛否両論ありました
今までのウッディを見てきた人ならラストの選択には驚いたはず。少なくとも私は。
とはいえ、ウッディに至っては、アンディという大きな役目を終えたこと、ボニーに最近遊んでもらえなくなったこと、苦楽を共にした信頼できる仲間たちとの絆など、いろんな要素を踏まえ、新たなおもちゃ達との出会いやボイスボックスのくだりをみても、第二の人生の選択するタイミングとしても合っていたということでしょう。
つまり、伏線はいくつもちりばめられていた経過をみると、これを書いてる頃には受け止められました。
とんだ成長物語だと。自分の価値観を変えるほどの出来事が4にはある。
これが令和の洗礼か(日本しか通じませんね)
でもそう思うほど時代は変わった!ってトイストーリーシリーズでこれでもかと感じた。
ここまでトイストーリーについて考えたのは4があったから。3までならここまで自分のいろんな感情が湧き上がる事はなかった。
最後に、
シリーズものは1作目が一番面白かったってよくあることで。
ただトイストーリーシリーズに至ってはみじんも感じたことはない。商業的な生産映画ではなく、製作スタッフの方々の愛情を感じてはやみません。
「無限の彼方へ、さあ行くぞ!」これに尽きる。
ウッディとバズの友情も最高であった。
映画「アマンダと僕」※ネタバレあり
突然の悲劇で肉親を失った青年と少女の絆を描いたヒューマンドラマ
あらすじ
パリに暮らす24歳の青年ダヴィッドは、恋人レナと穏やかで幸せな日々を送っていたが、ある日、突然の悲劇で姉のサンドリーヌが帰らぬ人になってしまう。サンドリーヌには7歳の娘アマンダがおり、残されたアマンダの面倒をダヴィッドが見ることになる。仲良しだった姉を亡くした悲しみに加え、7歳の少女の親代わりという重荷を背負ったダヴィッド。一方の幼いアマンダも、まだ母親の死を受け入れることができずにいた。それぞれに深い悲しみを抱える2人だったが、ともに暮らしていくうちに、次第に絆が生まれていく。
感想
★★★☆☆
演出は優しいけど、内容は厳しすぎる。
主人公は24歳だったのね。まだこの現実を受け止めるには重すぎる。
予告は観てたので、ダヴィッドの姉が亡くなってしまう事はわかっていたけれど、亡くなる前の日常もしっかりと描かれていました。
なので余計悲しかった。しかも事故かと思ったらテロ事件ですし、姉だけでなく、姉を含むダヴィッドの知り合い達が巻き込まれた、とても悲惨な出来事となったのです。
残された2人
アマンダは幼くして母親がいなくなるという現実をどう受け止めたのだろうか。
ダヴィッドはアマンダの後見人となる事をいつ決めたのだろうか。
そこら辺の描写は非常にわかりづらい。泣く描写や寂しい気持ち、戸惑う気持ちは感じるけど、2人の中で亡くなったサンドリーヌに関する話は、一切交わす事なく終わるからだ。
この話の中では、ダヴィッドはアマンダと一緒にいる事を選択したところで終わり、2人が前へと進んでいく、サンドリーヌの死を受け入れるところまではいっていないと思う。
そしてダヴィッドと恋仲であったレナとの関係も曖昧なもので終わる。
大切な人が突然、この世からいなくなったら
もしくは大切な人と今までの関係が突然築けなくなったら。
人生は待ってくれませんからね。
大きな災害でも起きないかぎり日常は変わらない。
取り残された自分もまたつらい。
守りたい家族や大切な人がいるなら、この防ぎようがないテロによって日常の幸せが一瞬で消えてしまうこの映画を普通に見れないだろうと思いました。
ただ、同じ悲しみを味わったアマンダとダヴィッドの絆は一生ものだと思った。