映画「怪物はささやく」※ネタバレあり
その怪物が喰らうのは、少年の真実
あらすじ
母親が重病に侵されている13歳の少年コナーは、毎晩悪夢にうなされていた。ある夜、彼の前に樹木の姿をした怪物が現われ「わたしが三つの真実の物語を語り終えたら、四つ目の物語はお前が話せ」と告げ、さらにコナーが隠す真実を語れと言う。コナーは断るが、それを境に夜な夜な怪物が現れるようになり……。
感想
★★★★
主演のルイス・マクドゥーガルくんがとっても良かった…(余韻)そして怪物の台詞に深く考えさせられました。
監督は「永遠のこどもたち」のJ.A.バヨナ。製作スタッフはあの「パンズラビリンス」
パンズラビリンスの製作スタッフと聞いただけで構えてしまいますが、(しかもダークファンタジーを謳っていた本作)予告編を信用してはいけないと思いながら鑑賞しましたが……ダーク抜きの大人のヒューマンファンタジー映画でした!!(ほっ)
怪物は出てきますが、ビジュアルは気持ち悪くありません。(むしろパンズラビリンスの妖精のほうが断然気持ち悪かったです。本作の怪物よりも。)
そして「永遠のこどもたち」の時も思いましたが、監督はきれいで演技力もある美少年を探し出すのがとても得意ですよね。
主演のルイス・マクドゥーガル
本作の主人公です。彼の演技、本当良かったです。あの死んだような目や、目のクマが、闇を抱えた雰囲気を見事に醸し出していました。取り乱すシーンも乱暴かつ繊細な演技でお見事でした。顔立ちも綺麗で、目の保養でした~。
難病を抱えるコナーの母親役を演じたのは最近よく見るフェリシティ・ジョーンズです。とっても綺麗な女優さんですが、病が進行していくにつれて痩せ衰えていく姿がとてもリアルでした。役に憑依されていて良い意味で誰かわからなくなるほど。
で、コナーと対立するおばあちゃん役にエイリアンシリーズの最強ヒロイン、シガニ―・ウィーバーですよ。本作でもある意味強いです。コナーとは衝突することも多々ありましたが、最後は歩み寄ることができてよかったです。
おばあちゃんがお母さんの病院に急いでコナーを連れて行く車中での会話のシーンが好きです。自分たちは(性格が)合わないけれど、唯一共通しているのはお母さん(おばあちゃんからすれば娘を)を大切に想っていることだと、お母さんが2人を繋いでいるのです。ある意味似たもの同士かもしれませんね。
人間の本質を捉えた、大人向けのヒューマンファンタジー
本作の主人公は子どもですが、内容は至って大人向けだと思います。
それを象徴するのが、怪物がコナーに語る3つの物語です。一見、幻想的なおとぎ話のように始まりますが、その結末はどれも善と悪が表裏一体となっています。
(物語のプロットは「ハリーポッターと死の秘宝」の3兄弟の話を彷彿とさせるような演出でした)正義と悪は正反対であると認識している子どものコナーにはその物語の本質が掴めず、困惑します。(この手のテーマはクリストファーノーラン版のバットマン観るとより楽しめそうですね。)
でも本来人間は、善悪を併せ持っていて、それが人間らしさでもある。しかし子どもには特に受け入れがたい真実ですよね。
そしてその物語にコナーの心は揺さぶられ、コナー自身追い詰められていきます。
ラスト、怪物の台詞に心打たれる
コナーがひた隠しにしていた真実。自身が醜悪な人間であることを認めるのが怖いから頑なに閉ざしていた真実。それは、母親に死んでほしくないと思いながらも、その重みにこれ以上耐えていくのが限界であり、早く終わってほしいと願っていたこと。
人は苦痛から逃れるために犠牲をとわない。嘘をつき、人を傷つける。しかしそれが人間というものである。4つ目の真実の話をしたコナーに対して、怪物はよく言えたとコナーを讃えます。怪物はその人間の本質を受け入れているのです。
「お前(コナー)が何を考えようが関係ないのだよ。人の心は毎日矛盾したことを幾度となく考えるものだ。お前はお母さんにいなくなってもらいたいと願った。一方でお母さんを助けてくれと私に懇願した。人の心は都合の良い嘘を信じようとするのものだ。しかし同時に自分を慰めるための嘘が必要になる。痛ましい真実もちゃんと理解している。そして人の心は、嘘と真実を同時に信じた自分に罰を与えようとするのだ。」
「なにをどう考えるかは重要ではないんだよ。大事なのは、どう行動するかだ。」
この長い怪物の台詞がぐさっと刺さりました。深すぎる……教訓です。
私もある映画を観て、コナーと同じ気持ちにさせられた経験があります。それはスタジオジブリ作品の「おもひでぽろぽろ」を鑑賞した時です。初めて鑑賞した時はまた小学生で、その時にはこの作品の意図がよくわからなかったです。大学生になって観たときに衝撃を受けました。
阿部くんの「おまえとは握手してやんねえよ」という台詞を、主人公は奥底でずっと引きずっていた。
自分自身にある善と悪の、混濁した部分が引きづり出されたような、潜在的にひた隠しにしていた幼少期の罪悪感が蘇ってくる。
人に嫌われたくないから、いい子ぶっていたけれど、本当は、いい子でも何でもない。
この作品を鑑賞して、怪物の言葉を聞いて、以前よりはそんな自分も認めてあげられるような気持ちになりました。
いまは、だいぶ図太く生きれるようになりました。私も少しは大人になっていたんだなぁ。