映画「ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ」※ネタバレあり
異文化の壁を乗り越える2人に起こった、愛と笑いと驚きの実話
あらすじ
パキスタン出身の男性コメディアンとアメリカ人女性のカップルが、結婚に向けて文化の違いによる数々の障壁を乗り越えていくさまを、実話をもとに描いたヒューマンドラマ。
パキスタン出身でシカゴに暮らすクメイルは、アメリカ人の大学院生エミリーと付き合っていたが、同郷の花嫁しか認めない厳格な母親に従い見合いをしていたことがバレて破局。ところが数日後、エミリーは原因不明の病で昏睡状態に陥ってしまう。エミリーの両親は、娘を傷つけられたことでクメイルに腹を立てていたが、ある出来事をきっかけに心を通わせ始め、クメイルもエミリーが自分にとって大切な存在であることに改めて気づいていく。
感想
★★★★
「これって実話なのか!」とエンドロールで知りました。しかも主演をご本人自ら務めて、ヒロインも脚本で参加していたとは。特に事前情報は入れずに先入観なしで見ましたが、そのぐらいの情報は入れておけって感じでしたね。
とても良くできた作品であると共に、不思議な映画でした。
前半、主人公2人の恋模様
始まりはよくあるストーリー展開です。クメイルとエミリーがお互い惹かれ合い、お付き合いする。良い時もあれば誤解や先入観からすれ違うときもある。
でも2人とも基本素直で相手のことを思いやっているので、大きなトラブルになることもなく、それを象徴する一つのシーンがあります。
深夜にベッドを抜け出して慌てた様子で着替えるエミリー。それに気づいたクメイルはどうしたのかと訊ねると、急にコーヒーが飲みたくなって近くの食堂に行くと言いはじめます。クメイルがコーヒーを淹れると言っても拒み、夜道は危ないからついて行くと言い出しても拒むエミリー。クメイルはそんな彼女の行動と言動に戸惑いと不信感を抱きます。そしてエミリーは正直に言うのです。大便がしたいの!!と。「あーーそういうことね、クメイル彼女にそこまで言わしちゃった」とも思いかもしれませんが、わからないものはわからないのですよ。そこを隠さずに、その後喧嘩になることもなく、恥ずかしながらも正直に話したエミリーは良かったですし、良いカップルだと思いました 笑
だからこそ、クメイルの嘘をもっと寛容してほしかったなとも個人的には思ったり。
文化の違い、しかも家族が関わる問題って本当にデリケートなので、嘘をついていたことはいけない事ですが、言えなかったという気持ちもわります。エミリーの感情爆発も凄まじく、それで破局してしまったクメイルが少し可哀想だとは思いました。
両親達の関係
破局後、エミリーは原因不明の病を患い昏睡状態に。その時にクメイルはエミリーの両親と出会い、初めは敵視(特にエミリー母 笑)されるのですが、徐々に心を通わせていきます。
エミリーの両親の関係はよろしくないです。仲良くないというか、上手くいってないんだろうなと。それは後半、エミリー父がクメイルに話した事で発覚するのですが。どうやらエミリー父は一度浮気をしたようです。
長年連れ添うと何があったわけでもなく愛が冷める、、ではなく歴とした理由があったとは。
その時に「その人が生涯を共にしたい相手かどうかは自分が浮気をしたときに気づくんだ。浮気したとき最悪の気分になるから」とさらっと重たいことを言うんですよ。
手っ取り早いと思いますけど、その代償は凄まじいものがありますね。
あの夫婦の関係が後半マシになるのは本当クメイルのおかげです。
クメイルが忙しすぎる
さて、主人公クメイルは大変なんですよ。エミリーが原因不明の病気になり、クメイルも病院に通う日々です。そこでエミリーの両親達のゴタゴタに巻き込まれたり、また仕事では大きなチャンスを掴めるかもしれない大事な時であったり、また自分の家族の問題等、複数の重たい問題が一気にのしかかります。
実際、エミリーの問題は避けることはできたはずなんですが、クメイルにとって彼女の存在は一番大切なんだろうと思いました。
クメイルの精神状態がピークの時、ハンバーガー屋のドライブスルーでイライラを爆発させていましたけどね。ゴミ箱を倒して中のゴミは出ちゃったりモノに当たるのですが、その後我に返り、「sorry」と謝りゴミ諸々拾います。いい奴なんです。
クメイルがこの困難を乗り越えられた訳
鑑賞後に読んだクメイル役のクメイル・ナンジアニと、エミリー・V・ゴードンご本人達のインタビュー記事に書いてあった内容です。
↓記事抜粋
原因がわからない以上、エミリーがいつ目を覚ますのか、そもそも目を覚ますことがあるのか、クメイルも両親もまったくわからない。そこで彼らが戦う最大の敵は“悪い想像”だ。「なぜポジティブに行動出来たのか? なぜ僕たちがすべての困難なことに打ち勝つことができたのか? その理由は、それだけの価値があったからだと思う。ある時点で“この人は、戦うだけの価値がある。この人は、これらすべての困難に打ち勝つ値打ちがある”と思わないといけないんだ」
個人的な話ですが、私はいま、ある生命体を幸せにしようと奮闘していて。自分の身を削るこの選択が、正しいのかどうか自問自答する日々を過ごしています。幸せな時もありますがとても辛い時も多いのです。なぜ私は辞めようとしないのか、どうしたら辞めようと思えるのかと考える時もあります。
そしてこの記事を読んで気が付きました。それでもその生命体を手放さないのは「それだけの価値があるから」だ。この先どんな結果になろうとも、今の選択を選び続ける価値が今存在しているんだと。
よく考えると当たり前のことかもしれませんが、私の心にすとんと落ちたのです。
終始、不思議な映画だなぁと思った訳
不思議な映画だと思いました。なんだろう?と思っていたら、上記と同じインタビュー記事を読んでこれだと気づきました。
↓記事抜粋
通常であれば、この種の出来事が実写化される際は“難病もの”としてシリアスに描かれるか、異文化の壁を超える劇的な恋愛ドラマとして感動を煽る展開が盛り込まれていたりする。しかし、ナンジアニとゴードンは、本作に“コメディ”の要素をたっぷりと盛り込んだ。「僕は社会的な問題や人種差別の問題、どんな問題であっても、そういうものに取り組む最良の方法は、コメディでやることだと思うんだ。そうでないと、何か教訓を与えようとしているように感じられるし、自分のことをあまりにもシリアスで重要に取りすぎているように感じられる。コメディは、そういう社会的な主張とかを世間に示すための素晴らしい方法だと思う」(ナンジアニ)「私たちはふたりとも、ストレスの多い状況にいる時にジョークを飛ばす傾向がある家族から来ているの。それはただ、私がそういうふうに物事に対処するように育てられたということよ」(ゴードン)
確かに内容はシリアスですし、しかも実話であれば尚更。でもそれを感じさせず、それよりも2人の関係や、両親の問題、仕事の話…主人公たちを取り巻く環境に、凄く自身の経験を投影していました。それができる絶妙なバランスの作品でした。だから偶に垣間見れる、エミリーの命の問題がアクセントとなり、不思議な気分になりました。
ラストの二人の会話もよかったなぁ。
好きなシーンです。