映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」感想※ネタバレあり
スターウォーズシリーズⅨ。スカイウォーカー家の物語、完結
感想
★★★★★
ついに新三部作完結しました。
あっという間だった……これぞ娯楽。
本作で一気にまとめに入ったので、駆け足になったのは否めませんが、エピソード8のごちゃごちゃを見事にまとめてくれたというところです。全体を通して観ると、やはりエピソード8が勿体なかったかな…。でもオープニングとエンディングは何度見ても感動してしまうし、お馴染みのキャラクターが登場したり、新キャラクター達との新たな関係性を築いては、変な親心が芽生えては感動してしまうのだから、もうこれはどうしようもない。
ただのファンの感想です。
パルパティーン復活
この新三部作では絶対的な悪の存在がわからずいまいち盛り上がりに欠けてましたが、まさかのパルパティーンが復活してて、「うおー!!」て心中叫ぶ。みたいな安心感。
「スカイウォーカー家にはパルパティーンしかいなかった」観終わって同ファンとこの感想は完全に一致しました。
レイの家族明らかに
エピソード7でレイは何者なのかという議論が白熱していたのですが、エピソード8ではあと1作で全て回収できるのかなっていう思いに駆られてちょっと忘れてました。
そしてまさかのパルパティーンの孫。でもその伏線がなさすぎてちょっと物足りなかったり。それよりも、パルパティーンの子どもはなぜダークサイドに染まらなかったのかとか、母親は誰なのか、元老院時代の子どもなのか、なんだがそっちの方が気になっちゃいました。
歴代のジェダイの声に立ち上がるレイ
パルパティーンに一度はやられて倒れるレイですが、歴代のジェダイたちの声に立ち上がる。冒頭、レイが歴代のジェダイと交信すべく「be with me」と唱えますがその時には聞こえませんでした。それがあってからの、終盤、絶体絶命時にもう一度「be with me」と唱えたレイに歴代のジェダイたちが答え、そしてエールを送る。なんという演出でしょうか…。胸が熱くなる展開ですよ。一番グッと来たシーンです。
ただ字幕で観たので、誰の声かわからない。ヨーダしかわからないという事態に。たぶんアナキンやオビワンやもちろんルークも言ってるんだろうなーと想像しながら聞いていました。これ吹き替えで観たいわーと思ったり。
(あとで検索したら思ってたよりキャラが多くて凝っていました)
結局、レイとベンの関係性って
エピソード8、9でレイとベンの並々ならぬ交信シーンを何度も観ていたので、血縁者とかいろいろ想像してしまいましたが、違いましたね。フォースを持つもの同士の絆でしょうか。なんだったのでしょうか…2人の関係性を大事に(尺も長く)描写してきただけに、あれってなったのは否めません。
ともあれ カイロ・レンとベンという超絶難しい役を演じきったアダムが最高な役者であることは間違いないです。これからも応援し続けます。
新三部作のテーマとは
なんだろうか。スターウォーズは家族、血筋、師弟など様々な絆の物語ではあるが、本作は特に「自分の運命は自分で決める」ということが伝わってきた。ような。
フィンがまずエピソード7でストームトルーパーという運命から逃れ、レイたちに導かれた。これが始まりであり、新三部作とはこういうものだ!て言われたような気がしました。
また、レイが最後に名前を聞かれたときに「レイ・スカイウォーカー」といったことも自分の運命は自分で決めるという強い意志の表れのように感じました。ベンのフォースの力によって生き返ったレイなので、スカイウォーカー家のフォースが流れてそう答えた説もあって、そういう解釈もあるのかって。個人的にはレイの師がルークであることからの発した言葉のように感じてます。
本作ではハンソロの悪友、ランド・カルリジアンが再登場してて嬉しかったでしょ。
また16年12月に急逝したキャリー・フィッシャーも、「フォースの覚醒」製作時に撮影されていた未使用だった映像を用いて登場させるという演出は感動ものでした。
ご冥福をお祈り致します。
はぁー完結してしまった。スカイウォーカーの話が終わってしまった。今はただ寂しいです。
映画「スリー・ビルボード」※ネタバレあり
3つのビルボードと3人を取り巻く怒りの行く末とは
あらすじ
米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な3枚の広告看板を設置する。それを快く思わない警察や住民とミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へと転がっていく。
感想
★★★★☆
これ、大人が面白いって思える作品だと思いました。ミステリーでも復讐劇でもない、人間の心の変化を克明に描いたヒューマンドラマでした。思っていた展開と違いましたが、どんどん引き込まれてあっという間にエンディングを迎えました。
淡々と進んでるようで作り込まれている
設定上、主要キャラクターに犯人や悪者がいそうな作りなんですよ。でもいなかった。また、一見主人公と対峙する人が悪者かと思いきや、実はそうではなかった。(まぁそもそも主人公も善人とは言えないけれども)こっちが勝手にミスリードしただけですけど、予告観たらそう思わずにはいられない、完全に作り手に導かれましたね。
サスペンスのようなヒューマンドラマ
昔なら起承転結がはっきりしている映画を好んでみてましたし、学生の頃に観てもこんなに良い評価にはならなかったかなと思います。犯人は誰なのかを探るサスペンスではなかったけど、好きです。
雰囲気や設定は重いけれど、情報量は多くないので結構フラットに観れました。
物語の舞台であるミズーリ州エビングは架空の町ですが、白人差別が残る田舎町といったところでしょうか。
本作では色んな人の怒りが登場します。そしてその怒りや憎しみというフィルターが真実をぼかしてしまうことが大いにあるということ。でもその後お互いを理解しようとするところや、更生する姿が描かれています。一つの事件を通して知る、さまざまな人間模様を丁寧に描いた面白い作品でした。
映画「ジョーカー」※ネタバレあり
本当の悪は笑顔の中にある
あらすじ
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。
感想
★★★★★
どえらいものを見てしまった感。
この映画を観て、演者や演出に関して「良かった」とか「感動した」とか言ってもいいけど、ストーリーに関してそんなことを軽々しく言ってはいけない程の非道徳的なんですわ。
まぁそれは結果論であって、アーサーの立場は本当につらいものがあって共感してしまうし、極限を超えてアーサーがジョーカーになったところは、ああ〜て思っちゃって。
とりあえず、エンドロールをずっと観続けて居られず、終わるギリギリで映画館を後にしました。面白くなかったとか胸糞悪かったとかではなく、心臓が持たなかった。
映画としては最高だと思った。しかしこれに共感も感動もしてしまっては怖いんです。劇団ひとりさんの気持ちめちゃくちゃわかる。
映画上映前からドキドキしたのは久々
終始ドキドキしっぱなしでした。アーサーは心優しくて純粋でいて不器用。不遇が重なり、情緒不安定だし、常に暴走の引き金が漂っていて、いつ爆発するんだろうとみてるこっちも緊迫状態。あの悲しいのに笑ってしまう病がそれを助長させるけれど、あの演技には脱帽ました。
序盤からちょいちょい引き金引いちゃってるけど、精神病院で母親のカルテ見た後から本暴走。気にくわないやつは、拳銃でやっちゃうし、自分の脅威である愛する人たちも自分の手で始末してしまう屈折様。
そしてもう何も失うものはない完全体になったアーサーはジョーカーと化し、自分の主観で悲劇から喜劇に変えた。それが演技にも現れているし、カリスマと言われる
しっかし、喜劇王のチャップリンがこのジョーカーの喜劇を聞いたら腰抜かしますけどね。
ホアキン・フェニッスクの演技はアカデミー
最高でした。この人の演技はヒースレジャーのジョーカーに匹敵する。アーサーの見え隠れする狂気、そしてジョーカーの圧倒的存在感。何が凄いって、アーサーとジョーカーとの振り幅を見事に演じ切ったところ。大胆かつ繊細なんです。
特に階段でジョーカーがステップを踏むシーンとかもう感動しちゃって。かっこよすぎた。ただ歩いてタバコ吹かすだけでもうカリスマがダダ漏れでしたよ。
こんなにも惹きつけられる演技は久々です。ホアキンの演技だけでこの作品には価値がある。
アーサーは妄想癖がある
アーサーの妄想はどこからどこまでなんだろうか?はじめにわかるのがアーサーがフランクリンのショーを見ていて、観客として彼と会話し、舞台に上げてもらうという妄想です。
これは至ってわかりやすい。
それからもう一つ、ガールフレンド(だと思われていた)シングルマザーのソフィーの存在です。一体どうしてこんな可愛らしい人がアーサーと恋人になったのかが理解できませんでした。
が、それも妄想だったという事がわかるシーンでは背筋が凍りましたよ。
そして最後の病院のシーン。
フランクリンを射殺した罪で捕まり、パトカーに乗っていたジョーカーですが、突如トラックが衝突。運転してた集団にパトカーから引っ張り出され、立ち上がって、貧困層達から歓声を受けるジョーカー。次の瞬間病院にいたわけです。
このシーンはどこからが妄想だったのか?
色々考えちゃうけど、単純に幸せなシーンや救いのあるシーンはきっと妄想なんだろうなって。そうしたらやはりこの作品以上にアーサーの人生はつらい。
2回鑑賞しました。1回目はやばいものみた、でしたが、2回目は落ち着いて観れたので純粋にエンターテイメントとして楽しめました。アーサーとジョーカーの狭間をみて、ホアキンに感動したり、ジョーカーの身のこなしに圧倒されたり。そしてやっぱり長い階段でステップを踏むジョーカーはとても魅力的でした。
映画「トールキン・旅のはじまり」※ネタバレあり
あの壮大な冒険物語は、愛と友情、そして勇気から生まれたあらすじ
冒険ファンタジー映画「ロード・オブ・ザ・リング」「ホビット」3部作の原作者J・R・R・トールキンの前半生を描いた伝記ドラマ。3歳で父を失くし、イギリスの田園で母と弟と暮らしていたトールキンは、母親の急死により12歳で孤児となってしまうが、母親の友人で後見人となってくれたモーガン神父のサポートにより、名門キング・エドワード校への入学を果たす。そこでトールキンは3人の仲間と出会い、「芸術で世界を変えよう」と互いに誓い合う。16歳になったトールキンは年上の女性エディスと恋に落ちるが、神父からその交際を厳しく禁じられてしまう。そしてぼっ発した第1世界大戦がトールキンと仲間たちの運命を大きく変えていく。
感想
★★★☆☆
秘密結社「T.C.B.S.」楽しそうだったなぁ。
少年や青年たちの青春友情物語が大好物なので、そこが一番印象に残っていて見てて面白かったなと。指輪物語の作者の話っていうところが先行してしまっていたので、思っていた作品とは違いましたが、そこを抜きにしてみると悲しくも素敵な話だと思いました。
秘密結社「T.C.B.S.」
学生あるあるというか、グループに名前をつけてルールを作って結束させるみたいな。振り返るとちょっと恥ずかしくてダサいんだけど、それが楽しくて。
ちなみに秘密結社「T.C.B.S.」は芸術で世界を変えるという目的で、それぞれ音楽や詩や小説に打ち込むわけですが、結構みんな才能があるからこれまた面白い。
それとトールキンたちの友情を見てるとなんだか羨ましくなります。それほど一緒にいて楽しくてなんでも言い合える大切な仲間がいるって財産だなと。
トールキンの前半生
これは指輪物語が生まれる物語というよりは、トールキンというひとりの人間の物語である。
もちろん、指輪物語を彷彿とさせるワードや描写はありましたし、指輪物語の作者だから妙に4人の友情物語をフロドたちに繋げたくなりますが、全体を通して見ると、トールキンという人物のこと、生い立ちが知れたかなと思いました。
戦争を経験したトールキンが創造したもの
トールキンは、兵士として参加した第一次世界大戦の中でも最も苛烈な激戦だったと言われている「ソンムの戦い」に出陣します。人を殺すために作られた兵器が続々と実践投入されたこのソンムの戦いを、作中においては、火炎放射器がドラゴンの炎に見えたり、炎や煙が怪物に見えたり、毒ガスが闇のように包まれる描写がありました。もちろんこれはトールキンの想像上の演出ではありますが、指輪物語のダークさ、争いのシーンは間違いなく影響を受けているはず。あの醜さやおどろおどろしさはこういった体験から来てるんだなと。
トールキンと言語
トールキンは幼い頃から架空の言語を作るのが好きで、のちにエルフ語につながる訳です。トールキンがここまで言語に魅力を感じ、大切にしていて、自分で創造するまでに没頭したのか。そこを知るに行き着くことはできないが、言語学者の恩師と出会ってから、トールキンの才能は本当の意味で開花したんだなと思いました。
ラスト、トールキンが指輪物語を家族に聞かせて終わるところは希望でしたが、戦争で失った仲間たちを思うとつらい。前半楽しかった分、そこがのしかかってきて、個人的には悲しい気持ちが勝ってしまいました。
映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」※ネタバレあり
1969年8月9日、事件は起こった。この2人にも。
あらすじ
テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと、リックを支える付き人でスタントマンのクリス・ブース。目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに神経をすり減らすリックと、いつも自分らしさを失わないクリフは対照的だったが、2人は固い友情で結ばれていた。最近、リックの暮らす家の隣には、「ローズマリーの赤ちゃん」などを手がけて一躍時代の寵児となった気鋭の映画監督ロマン・ポランスキーと、その妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してきていた。今まさに光り輝いているポランスキー夫妻を目の当たりにしたリックは、自分も俳優として再び輝くため、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演することを決意する。そして1969年8月9日、彼らの人生を巻き込み、ある事件が発生する。
感想
★★★★★
興奮した!!!本作は、映画を観る前にしっかり原案を予習しました。1969年アメリカハリウッドについて。そしてその後のハリウッドについて。予習しておくことが必要である作品であると言えます。
本当の歴史とフィクションが交差する
まずこの映画の土台にあるのが1969年のハリウッド。その終末となるのが「シャロンテート殺害事件」と実行を命じたチャールズ・マンソンという人物。この2つを最低でも予習しておくと、ラストの結末に救われる。
実際マンソンが登場したのは1回。しかも数秒。そのあとは名前だけやマンソンが率いるカルト集団のマンソンファミリーの面々が登場します。そこのシーンは本当に不気味で異様で、洗脳の恐ろしさが垣間見れます。
実在の登場人物たちがリアルに描かれていますし、時系列もそのまま。
だけど、そこにリックダルトンという少し落ちぶれたハリウッド俳優とクリフブースというリックのスタントマン件お世話役の2人が当時のハリウッドに存在することによって、歴史が大きく変わるということです。(タイムトラベルではありません)
作中、リック達とシャロンはずっと交わることはない。ただ、家がお隣さん。これ一番大事ですよ。
そしてあのシャロン・テート殺害事件が起こった当日、2つの世界が交じり合い、素晴らしい化学反応を起こして、マンソンファミリーらはクリフと愛犬のブランディにこれでもかとボッコボコにやられます。 (タランティーノの怒りを感じる)
警察も来て、クリフは負傷し病院送り、事態は終結した後に、リックはお隣のシャロンやその友人たちに家に招かれ、その夜を共にするという、めでたしめでたしなエンディングなのです。
アナザーストーリーであり、あの惨劇が少しでも救われるように、タランティーノの気持ちがこれでもかと伝わってきては、そこに感動した。シャロンとその友人たちが生きている、そこにリックが交わる。夢のような本当に素敵な物語。
さて、タランティーノ監督のアクションシーンはこれでもかってぐらいボコボコにやられるのて目をふさぎたくなる。でもブラピは最高にかっこいいし、プリオは最高に面白くてかわいいし、このコンビ最高でした。
エンドロールで「最高…」とぽろっと口に出した気がする。
映画「ロケットマン 」※ネタバレあり
エルトン・ジョンの栄光の裏に隠された、知られざる生い立ちとは
あらすじ
ミュージシャン、エルトン・ジョンの自伝的映画。並外れた音楽の才能でまたたく間にスターへの階段を駆け上がっていった一方で、様々な困難や苦悩にも満ちたエルトン・ジョンの知られざる半生を、「ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」や「ロケット・マン」など数々のヒット曲にのせたミュージカルシーンを交えて描いていく。イギリス郊外の町で両親の愛を得られずに育った少年レジナルド(レジー)・ドワイトは、唯一、音楽の才能には恵まれていた。やがてロックに傾倒し、ミュージシャンを目指すことを決意したレジーは、「エルトン・ジョン」という新たな名前で音楽活動を始める。そして、後に生涯の友となる作詞家バーニー・トーピンとの運命的な出会いをきっかけに、成功への道をひた走っていくが……
感想
★★★★☆
エルトンの感動的な音楽からは想像も出来ない孤独が彼を蝕んでいたという事実。家族の愛情がいかに大切であるか、その愛情を知らずに育った人間の孤独を知った。
「ボヘミアンラプソディー」と異なるのは、歌が誕生した時系列で流れるのではなく、あくまでもエルトン・ジョンの人生先行でそこに合う音楽を入れている、ミュージカル映画であるという事。なのでこれはミュージシャンとしてのエルトンの半生ではなく、ひとりの人間としての自伝映画である。
なので、ボヘミアンの時のよりも音楽性やライブ感は抑え、エルトンの苦悩や葛藤、そこに音楽が添えられていた印象。歌の入りが凄く自然で、演出が非常に上手でした。
タロン・エガートンの歌が最高
歌を聴かせるとなると、出演者の歌が気になるところだが、とにかくみんな歌も踊りも上手すぎて。特に主演のタロンくんはお見事。
エルトン・ジョンが乗り移ったかのような見た目でありながらも、歌も違和感なく引き込まれた。子ども時代のエルトンも上手よね。エンドロールでエルトン本人の幼少期の顔写真出てきたけどめちゃ似てたよね。
孤独の始まりは子供時代
親から愛されることがなかったエルトン。ハグして欲しい時にハグしてもらえなかった。必要な時期に必要な愛情を注がれることがなかった彼は、成長してもひたすら愛を求めている。心は子ども時代で止まってしまった。どんなに満たされだと思っても満たされることはなかった。どんなに賞賛を浴びてもそれで満足することができなかった。愛されたい気持ちが人一倍強く、そして脆かった。彼が一番求めていたのは恋人でも才能を認めてくれる人でもファンでもなく、父親と母親の愛情だけだったのかと。残酷なことに、自分がどんなに有名になっても愛情がエルトンに向くことはなかった。とても可哀相だ。
それと反比例するかのように彼は音楽の才能を持ち合わせていた。この辛い現実と対比するかのような素晴らしい才能を得て自らの力で成長させてきた。この彼の満たされない想いは音楽の原動力になったはず。しかしそれでもあまりにも代償が大きく、その満たされなかった愛情は彼自身の心にぽっかりと穴が空き、彼は薬、アルコール、性、食の依存症を患い、自殺未遂まで起こした。この現実を知った今、エルトンの曲が非常と尊い。
ラストのI'm will standingが私の中でのエルトンの始まりであった
個人的に1番好きな曲だったという事、アレンジが最高だったこと(スローテンポからの始まりと、PV再現でそのままエンドロールを迎える)もあり、うれしかったなあ。あのラストを観にまた行きたいぐらい。音楽の力ってすごいな。楽しいとか嬉しいとか悲しいとか、どの感情かがわからないけど心が動いて、高揚感があって、「感動した」という言葉がしっくりくる。この作品もそうだ。彼の半生はすごく悲しくて苦しい。なのに彼の音楽を聴くと、悲しいとか苦しいとは別の、プラスな気持ちが生まれる。自然と笑みがこぼれていたと思う。
音楽があるからエルトンの物語は救われた。
映画「ライオン・キング」※ネタバレあり
忘れるなシンバ、自分が何者なのか
あらすじ
アフリカの広大なサバンナで、動物たちの王であるライオンのムファサの子として生まれたシンバは、いつか父のような偉大な王になることを夢見ながら成長していく。しかし、ある時、王位を狙う叔父スカーの策略によって父の命を奪われ、シンバ自身もサバンナを追われてしまう。やがてたどりついた緑豊かなジャングルで、イボイノシシのプンバァとミーアキャットのティモンといった新たな仲間との出会いを得たシンバは、過去を忘れて穏やかに時を過ごしていく。一方、スカーが支配するサバンナは次第に荒れ果て、存続の危機が迫っていた。
感想
★★★★★
超実写は超完璧すぎる実写でした。
吹き替えで観ましたが、ティモン&プンバァ最高でしたわ。
超実写はネイチャー映画と壮大なドラマ
高画質でネイチャー映画を観ているようで、その大自然と壮大な音楽が合わさって、それだけでも泣ける。キャラクターの表情が乏しい問題が気になるかと思いきや、私は気になりませんでした。声を当てている俳優さんたちの技量のおかげもあり、表情が自然と見えてきて物語に没頭できました。
ライオンは寝ているの実写の演出が好き
超実写を観て再確認したのが、ティモンとプンバァ最高!ということ。二人の掛け合いはもちろん、歌のハミングも最高。「ハクナマタタ」は有名ですが、「ライオンは寝ている」が個人的にお気に入りで何度もリピートしています。プンバァのリズムにティモンの歌声がのびるのびーる。そして他の動物たちの足踏みやハミング、自然の音たちが合わさり、とても軽快で聴いて気持ちが良い。
ライオンキングの教え
ムファサは「ライオンも死ねば草となり、その草を草食動物が食べ、その草食動物をライオンが食べる。全てのものはめぐりめぐる偉大な生命の調和に結びついている。王としてそれを理解し、全ての生命を尊重すべきである」と、シンバに「サークル・オブ・ライフ(命の連鎖)」の理念を教えます。
そのあとシンバはハクナマタタ、「悩まずに生きる、心配ないさ、どうにかなるさ」をティモンとプンバァから教えられます。ちなみにティモンとプンバァは「命は一本の線であり、その線の一番下に来た時が人生の終わり」であると言っています。
ライオンキングは大きく分けると2部構成であり、ムファサとティモン・プンバァ達の対になりそうな2つの教えがあります。
今回の超実写を観て、改めて考えてみた。
シンバにとって、幼い頃にはムファサの教えの意味を理解できなかった。そしてムファサの死をきっかけにトラウマを背負ったシンバには、ハクナマタタの精神には救われた。成長する中で、命が一本線である事に疑問を抱き、王としての素質に気づき、大人になって、ムファサの教えであるサークルオブライフの意味を理解する。
このシンバの成長を通して、色んな考えが、誰かにとって必要であり救われることがある。正解はない。でもライオンキングの世界は、サークルオブライフそのものであることはわかる。
大人になってみると、同じ作品でも違った見方が生まれる。シンバが昆虫を食べて大きくなることに疑問を抱いてしまうのも大人になってから…。