映画「ジョーカー」※ネタバレあり
本当の悪は笑顔の中にある
あらすじ
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。
感想
★★★★★
どえらいものを見てしまった感。
この映画を観て、演者や演出に関して「良かった」とか「感動した」とか言ってもいいけど、ストーリーに関してそんなことを軽々しく言ってはいけない程の非道徳的なんですわ。
まぁそれは結果論であって、アーサーの立場は本当につらいものがあって共感してしまうし、極限を超えてアーサーがジョーカーになったところは、ああ〜て思っちゃって。
とりあえず、エンドロールをずっと観続けて居られず、終わるギリギリで映画館を後にしました。面白くなかったとか胸糞悪かったとかではなく、心臓が持たなかった。
映画としては最高だと思った。しかしこれに共感も感動もしてしまっては怖いんです。劇団ひとりさんの気持ちめちゃくちゃわかる。
映画上映前からドキドキしたのは久々
終始ドキドキしっぱなしでした。アーサーは心優しくて純粋でいて不器用。不遇が重なり、情緒不安定だし、常に暴走の引き金が漂っていて、いつ爆発するんだろうとみてるこっちも緊迫状態。あの悲しいのに笑ってしまう病がそれを助長させるけれど、あの演技には脱帽ました。
序盤からちょいちょい引き金引いちゃってるけど、精神病院で母親のカルテ見た後から本暴走。気にくわないやつは、拳銃でやっちゃうし、自分の脅威である愛する人たちも自分の手で始末してしまう屈折様。
そしてもう何も失うものはない完全体になったアーサーはジョーカーと化し、自分の主観で悲劇から喜劇に変えた。それが演技にも現れているし、カリスマと言われる
しっかし、喜劇王のチャップリンがこのジョーカーの喜劇を聞いたら腰抜かしますけどね。
ホアキン・フェニッスクの演技はアカデミー
最高でした。この人の演技はヒースレジャーのジョーカーに匹敵する。アーサーの見え隠れする狂気、そしてジョーカーの圧倒的存在感。何が凄いって、アーサーとジョーカーとの振り幅を見事に演じ切ったところ。大胆かつ繊細なんです。
特に階段でジョーカーがステップを踏むシーンとかもう感動しちゃって。かっこよすぎた。ただ歩いてタバコ吹かすだけでもうカリスマがダダ漏れでしたよ。
こんなにも惹きつけられる演技は久々です。ホアキンの演技だけでこの作品には価値がある。
アーサーは妄想癖がある
アーサーの妄想はどこからどこまでなんだろうか?はじめにわかるのがアーサーがフランクリンのショーを見ていて、観客として彼と会話し、舞台に上げてもらうという妄想です。
これは至ってわかりやすい。
それからもう一つ、ガールフレンド(だと思われていた)シングルマザーのソフィーの存在です。一体どうしてこんな可愛らしい人がアーサーと恋人になったのかが理解できませんでした。
が、それも妄想だったという事がわかるシーンでは背筋が凍りましたよ。
そして最後の病院のシーン。
フランクリンを射殺した罪で捕まり、パトカーに乗っていたジョーカーですが、突如トラックが衝突。運転してた集団にパトカーから引っ張り出され、立ち上がって、貧困層達から歓声を受けるジョーカー。次の瞬間病院にいたわけです。
このシーンはどこからが妄想だったのか?
色々考えちゃうけど、単純に幸せなシーンや救いのあるシーンはきっと妄想なんだろうなって。そうしたらやはりこの作品以上にアーサーの人生はつらい。
2回鑑賞しました。1回目はやばいものみた、でしたが、2回目は落ち着いて観れたので純粋にエンターテイメントとして楽しめました。アーサーとジョーカーの狭間をみて、ホアキンに感動したり、ジョーカーの身のこなしに圧倒されたり。そしてやっぱり長い階段でステップを踏むジョーカーはとても魅力的でした。