「イン・ザ・ハイツ」感想 ※ネタバレあり
そこは夢が集う場所 ワシントン・ハイツ
あらすじ
変わりゆくニューヨークの片隅に取り残された街ワシントンハイツ。祖国を遠く離れた人々が多く暮らすこの街は、いつも歌とダンスであふれている。そこで育ったウスナビ、ヴァネッサ、ニーナ、ベニーの4人の若者たちは、それぞれ厳しい現実に直面しながらも夢を追っていた。真夏に起きた大停電の夜、彼ら4人の運命は大きく動き出す。
感想
★★★☆☆
(3.7ぐらいです。)
ブロードウェイミュージカルの映画化です。
今の私には響く作品でした。
恋や友情、群青劇だけではない。
これは、夢を追い求める全ての人に見てほしい。
ラップ全面のミュージカル映画
ラップ全面でヒップホップやラテン音楽のミュージカルは新鮮でしたが、サイコーに良かったです。むしろ、ラップの方が、情報量が多いので、キャラクターや心情が細部までわかるし、テンポが良い!
一昔前の自分だと、ヒップホップ界隈の人間も知らず、聞き馴染みがない分、少し抵抗さえもあったかもしれないです。
今だからよかった。ラッパーの人たちの凄さやグルーブを作る時に欠かせない一つのパフォーマンスだと理解している今だからよかった。
夢を持つ人たちの群青劇
登場人物は皆、夢を持っていて、でもそれぞれが色んな想いや弊害を抱えているんですよ。
そもそも舞台であるワシントン・ハイツは年々家賃の高騰で生活は苦しいし、電気の供給が弱過ぎて停電になっちゃうわ、気候は暑いわで大変なんですよ。
主人公のウズナビの夢は、故郷であるドミニカへ帰ってお店を開くこと。
またヒロインであるバネッサの夢は、ワシントン地区を出てデザイナーになること。
この映画の面白いところが、みんなが夢を追い求めて、成長していくというただの群青劇ではないところ。
夢を持つ人に様々な形を提示してくれる映画
皆、夢を叶えるため必死に働いている。
毎日まじめに働きさえすれば夢が叶うのは、おとぎ話である事。それに囚われてしまうと故郷を忘れていく(大切なモノを忘れていく)というセリフがあります。(記憶曖昧ですが、たぶんそんな意味合い)
ウズナビはそれを感じているし、この映画で伝えたいメッセージの1つでもあったのかなと思います。
皆が憧れる道から挫折したもの、
夢を叶えるために闘うことを決意したもの、
追い求めていた夢ではなく、此処で本当の幸せ掴んだもの、
これがインザ・ハイツです。
最終思ったのは、
自分の理想とする夢は、本当に自分を幸せにしてくれるだろうか、と問われた気がする。
こっちの方がいい気がする、
こっちの方が勝ち組だ、
こっちの方が自由だ、
先の希望を追い求めて努力することも大切。
だけど、先入観のもと理想を追い求めて、今を大事に生きれなかったらそれは悲しいことだ。
今ある幸せを当たり前だと思わずに、噛み締めておかないと、失った時に後悔するかもしれない。
やはり、この瞬間を生きることも大事なんだと思わせてくれる。
夢に対する新しい提示を教えてくれた作品。
想像をいい意味で裏切ってくれました。
『現実を嘆くより、俺は旗を掲げたい』
劇中でウズナビがいうこのセリフは好きですね。なのでもう一回言います。
現実を嘆くより、俺は旗を掲げたい!
辛い現実を直面した時にみんなを奮い立たせるシーンですね。なんか、バンプの歌詞に出てきそうだなぁ。だから好き。
まぁこの一言に尽きる。
(バネッサの全力疾走パフォーマンスは圧倒)
(序盤からのミスリードがラストに生きる)
(ウスナビの名前の由来は結構じわる)
映画「宇宙でいちばんあかるい屋根」※ネタバレあり
ねぇ星ばあ、私はどんな屋根の下で生まれたんだろう
あらすじ
14歳のつばめは、隣人の大学生・亨にひそかに恋心を抱くごく普通の女の子。両親と3人で幸せな生活を送っているように見えたが、父と、血の繋がらない母との間に子どもができることを知り、どこか疎外感を感じていた。誰にも話せない思いを抱える彼女にとって、通っている書道教室の屋上は唯一の憩いの場だった。ある夜、いつものように屋上を訪れたつばめの前に、ド派手な装いの見知らぬ老婆が現れる。その老婆「星ばあ」がキックボードに乗って空を飛ぶ姿に驚きながらも、不思議な雰囲気を漂わせる彼女に次第に心を開き、恋や家族の悩みを相談するつばめだったが……
感想
★★★★☆
暖かい涙がぽろりと伝った、家族愛に詰まった映画でした。
やっぱりインパクトがあるのは、桃井かおりさん演じる星ばあ。だけど、他のキャラクターも一人一人個性を放っていて、よかった。特につばめが通う書道教室の先生が個人的には印象深い。それはラストを見ればわかる。
星ばあに出会うことで動き出す、少女の一夏の成長物語
舞台が聖蹟桜ヶ丘なんですね。少女の成長物語、階段を駆け下りる主人公のシーンも相まって「耳をすませば」を連想した人は多いはず。
見晴らしが良くて景色がいいですよねー。でも坂がきつそうだなー。(…)
主人公のつばめは、ごくごく普通の女の子でありながら、幼少期につばめと父親を置いて母親が出ていってしまった過去がある。いまは新しい母親と3人暮らしをしており、幸せな生活を送っているが、その過去の喪失感を抱えながら誰にもそれを話せずにいる。
そしてある日、通っている書道教室の屋上で「星ばあ」に出会う。
この屋上が、なんとも幻想的なんですよね。ここ日本か?ってぐらい素敵なバルコニーのような、いい雰囲気でね、なんかファンタジーなんですよ、あそこだけ。
星ばあってファンタジーの世界の人かと思っちゃうんですよ。空飛べるとか、この歳になると何でもできちゃうとか、言うセリフがちょっと現実離れしていて。でも普通につばめと日中出かけたり、ちょっと風変わりなおばあちゃんって感じ。
そんなつばめと星ばあのやりとりがまた面白くて、現実だけど、不思議でワクワクするような世界観でした。
星ばあの言葉にハッとする
星ばあは人生の大先輩だから、時間の大切さや尊さを知っているんですよね。つばめに対して、「後悔は行動してからするもの」や、「屋根をみればどんな人が住んでいるかわかる」ていうセリフはなかなか考えさせれますよ。
「後悔は〜」はその通りですって思うし、「屋根を〜」は私にまったくなかった視点だったので。例えば、自分家の屋根だけの写真見て、これは「うちです」って言えないことに初めて気づいて。この映画で新しい世界の見え方を知ったので、眼から鱗でした。
「宇宙でいちばんあかるい屋根」の意味って
ラスト、タイトルが出て終わるんですよ。その時に、結局このタイトルの意味ってなんだろうって考えたんです。なんとなくわかったような、でも正直わからなかった。
屋根について物語を通してわかったことが、
・屋根はそこに住んでいる人たちを表す。
・星ばあの孫は淡路色の屋根に暮している。
・星ばあのために淡路色の屋根を探すつばめたちは淡路色の屋根が沢山あって、どれが星ばあの孫のいる屋根かわからない。
…他にもあったけど忘れました。
結局、人のうちの屋根ってわからないなぁ。
(自分のうちの屋根もわからなかったので帰りに確認したら淡路色でした)
だからいちばん明るく見える屋根は自分家の屋根かもしれない。
……て素直に思って終わりました。
ちょっと正解がわからなかったです、原作者さん、監督すみせん笑
でも、自分の居場所って馴染みの場所だし、帰る場所だからなんか明るく見えるんですよね、不思議と。
家族愛の物語なのかなって思ったけれど、題名からすると、自分の居場所を見つける物語だったのかなって思いました。
「家へ帰ろう」感想※ネタバレあり
待っていたのは、70年越しの奇跡でした
あらすじ
アルゼンチンに住む男性が、ポーランドの親友に会いに行く様子を描いたロードムービー。旅の途中で出会う人々に助けられながら目的地を目指す主人公の姿が映し出される。
アルゼンチンのブエノスアイレスに暮らす88歳の仕立屋、アブラハムは、70年以上会っていないポーランドの親友に、最後に仕立てたスーツを渡そうと思い立つ。その親友は、ユダヤ人のアブラハムがホロコーストから逃れた際に助けてくれた命の恩人だった。アブラハムは、マドリード、パリを経由して目的地に向かうが、道中さまざまな困難が襲う。
感想
★★★★★
「家へ帰ろう」て言葉の本当の意味を知ったときの感動。ラストで2人が再開した時のシーンが忘れられません。あの瞬間、涙が溢れました。
「家に帰ろう」の本当の意味
アルゼンチンに暮らす88歳の仕立て屋、アブラハム。彼は明日から老人施設に入居することになっており、現在の家は売られて、そのお金は娘たちで山分けするという、なんとも可哀想な展開。
というのはミスリードであり、実は、彼はユダヤ人でありホロコーストを生き抜いた。その時に自分を匿ってくれた友人との約束を果たすため、時を経て、アルゼンチンから故郷ポーランドに行くという話。なので題名である「家に帰ろう」はいまいるアルゼンチンの家ではもちろんなく、自分の故郷であるポーランドの家に帰るという意味でした。
ホロコーストを生き抜いた老人の話
アブラハムは戦争によってさまざまな後遺症を抱えている。
足が不自由
腕に刻まれている番号
ポーランドという言葉を発しない
ドイツを嫌い、ドイツに脚を踏み入れたくない
残酷な記憶
作品を観てるだけでもいくつか上がるが、想像を絶する体験を聞いた話ではなく実際に見たというアブラハムの台詞がずしんと胸を打つ。
旅路で人との出会いもあり、楽そうに話は進みますが、時に彼の戦争での後遺症が随時に見えてくる。ポーランドという言葉を言いたくない彼は、空港で職質された時にこの人はユダヤ人であり当時を生き抜いた人であることがわかる。そして、ドイツに足を踏み入れざる負えなくなった辺りから物語の本質が見えてくる。
回想シーン、そしてドイツ人の女性に家族の話をしたときがもう…
冒頭、幼少期のシーンでは、家族との幸せそうな描写があり、余計にこの後の戦争での残酷さと対比されていて胸が痛くなる。
アブラハムの娘とのシーン
昔、アブラハムが娘達に「私のことを愛しているか」聞いた時、唯一頑なに愛してると言わず喧嘩別れをして疎遠になっていた娘がいました。アブラハムが旅路の途中でお金を盗まれたことがきっかけで、たまたま近くに住んでいたその娘に助けを求めて会うことになるのです。その時に父親がホロコースト時代に腕に刻まれた番号を娘が自らタトゥーとして入れているのがわかるシーンがあって。お父さんと同じ番号を入れてるんだとわかった瞬間に、誰よりも本当は父親を愛していて、他の姉妹たちが簡単に「愛してる」とアブラハムに伝え、行動と伴っていないシーンと比較すると、行動で示す彼女の愛を間接的に知るという演出は素晴らしいなと思います。
ハッピーエンディングでこの作品が大好きになりました
そして匿ってくれた友人に70年ぶりに会えた時、その瞬間のシーンがこの映画の全てだと思います。
見れてよかった。いまの幸せを噛みしめていこう
「ジョジョ・ラビット」感想 ※ネタバレあり
愛は最強
あらすじ
第2次世界大戦下のドイツに暮らす10歳のジョジョは、空想上の友だちであるアドルフの助けを借りながら、青少年集団「ヒトラーユーゲント」で、立派な兵士になるために奮闘する毎日を送っていた。しかし、訓練でウサギを殺すことができなかったジョジョは、教官から「ジョジョ・ラビット」という不名誉なあだ名をつけられ、仲間たちからもからかいの対象となってしまう。母親とふたりで暮らすジョジョは、ある日家の片隅に隠された小さな部屋に誰かがいることに気づいてしまう。それは母親がこっそりと匿っていたユダヤ人の少女だった。
感想
★★★★☆
感動した、悲しかった。心が暖かくなった。
子どもの頃に見たかったな。そして成人してからもう一度みたかった。そんな映画。
ビートルズの『I want to hold your hands』で、始まり、デヴィッドボウイのHeroesで終わる。
音楽最高。
チャップリン映画のようなユーモアさ
コメディタッチで描かれているのでクスッと笑ってしまう演出が散りばめられていますが、物語としては全く笑える状況ではないです。同じ第二次世界大戦を題材にしたナチスとユダヤ人が描かれる映画をいくつか観ましたが、本当に残酷な現実を突き付けられるので。この状況を笑ってみることは普通ならできません。
でもチャップリンはつらい状況を逆手にとって笑かそうとしてくるんです。ブラックユーモアですね。その上、大切な事を伝えてくれるんです。押し付けがましくなく、でもストレートに伝わったくるんです。それが本作でも生きていて。子どもに観て欲しいですね。これを観終わったあとに何を感じてくれるのか。
スカーレットヨハンソンが本作のインタビューで、「ダークな物事を処理するために、ユーモアはとても有効だと思う。コメディを使うと、相手は防御を下げてくれるから。だから、とてもパワフルなメッセージを伝えるための武器となりえる。」と言っていたけど、まさにそうだと思って。
この題材にユーモアを入れても重要なメッセージはしっかり伝わる。前半笑った分だけ後半泣けてくる。だから素敵なシーンにはほっこりして面白くておかしなシーンは笑っても大丈夫なんだと思えました。
この時代に正義は存在しない
スカーレットヨハンソン演じるジョジョの母親は反ナチスであり、ユダヤ人を匿います。本当に強くて優しい人で、これが正義なんだと思う。けどこの時代ではそれが国家に背く行為であり、罪になるんです。もちろん今ではそっちがおかしいと堂々と言えるのですが、当時はその自由がなかった。そして国に背く行為はジョジョを危険に晒す行為でもあった。
1人の人間としての考えを尊重する思いと、母親として子供を守らなければいけない立場であると言う事。
誰かにとっての正義は誰かにとっての悪になり得るのだから。戦時中に至っては、悪いのは政府であり社会であり指導者である。それはどの国も同じであること。これを忘れてはいけない。この映画の中の悪者はアドルフ・ヒトラーただ1人だけである。
戦争ってなんなんだろう…
終盤、ジョジョのたちの街にも敵が侵略してきて皆が戦っている最中、ジョジョがただただ、呆然とその光景をみていることしかできない。悲惨な現実がスローモーションで映し出されます。
なんのために
誰のために
戦争してるんだろう
こんな気持ちになりました。
あの瞬間、ジョジョは何を思っていたのか。
いろんな感情が渦巻いて、シンプルに戦争の意味を問いていたのではないか。
愛すべきキャラクター達
登場人物キャラ立ちが凄くて、そこがまた良かったです。特に好きなのが、サム・ロックウェル演じるジョジョの教官のクレツェンドルフ大尉とジョジョの友達ヨーキー。
まず教官のクレツェンドルフ大尉は、第一印象がザ・ナチ党って感じでやばい教官かと思いきや意外と面倒見がよく特にジョジョを暖かく見守ってくれていました。彼は同性愛者であることから多分彼はナチ党に属しながらも反ナチの精神を持っていた。だからジョジョの両親に負い目を感じていたかもしれないし、ジョジョのことを大事に思っていた。ジョジョの危機を2回も助けてくれて、ラストの行動には泣かされます。(最近スリー・ビルボード鑑賞したのでサム・ロックウェルの株が急上昇ですわ。)
次にヨーキーですが、もう見た目の性格も可愛すぎなんですわ。ジョジョが深刻な話をしても返しが良い意味で軽いというかどっしりしているというか、でもジョジョはそんなヨーキーに救わね。どんな過酷な状況下でも変わらず前を向いているヨーキー。誤って建物に爆薬ぶちかましちゃうのも君だから笑えるけど…。コメディ担当ですよね。ジョジョと挨拶の時にするハグが癒されました。
ラスト、ジョジョとエルサがダンスをするシーンで終わるのが最高でした。
とにかく、全編通して演出が素晴らしかったです。素敵なシーンも残酷なシーンも見せ方がとにかく素晴らしい。靴紐を通してジョジョの成長を感じさせるところなど、言葉だけでなく様々な伏線が散りばめられていました。
オサレです。
映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」感想※ネタバレあり
スターウォーズシリーズⅨ。スカイウォーカー家の物語、完結
感想
★★★★★
ついに新三部作完結しました。
あっという間だった……これぞ娯楽。
本作で一気にまとめに入ったので、駆け足になったのは否めませんが、エピソード8のごちゃごちゃを見事にまとめてくれたというところです。全体を通して観ると、やはりエピソード8が勿体なかったかな…。でもオープニングとエンディングは何度見ても感動してしまうし、お馴染みのキャラクターが登場したり、新キャラクター達との新たな関係性を築いては、変な親心が芽生えては感動してしまうのだから、もうこれはどうしようもない。
ただのファンの感想です。
パルパティーン復活
この新三部作では絶対的な悪の存在がわからずいまいち盛り上がりに欠けてましたが、まさかのパルパティーンが復活してて、「うおー!!」て心中叫ぶ。みたいな安心感。
「スカイウォーカー家にはパルパティーンしかいなかった」観終わって同ファンとこの感想は完全に一致しました。
レイの家族明らかに
エピソード7でレイは何者なのかという議論が白熱していたのですが、エピソード8ではあと1作で全て回収できるのかなっていう思いに駆られてちょっと忘れてました。
そしてまさかのパルパティーンの孫。でもその伏線がなさすぎてちょっと物足りなかったり。それよりも、パルパティーンの子どもはなぜダークサイドに染まらなかったのかとか、母親は誰なのか、元老院時代の子どもなのか、なんだがそっちの方が気になっちゃいました。
歴代のジェダイの声に立ち上がるレイ
パルパティーンに一度はやられて倒れるレイですが、歴代のジェダイたちの声に立ち上がる。冒頭、レイが歴代のジェダイと交信すべく「be with me」と唱えますがその時には聞こえませんでした。それがあってからの、終盤、絶体絶命時にもう一度「be with me」と唱えたレイに歴代のジェダイたちが答え、そしてエールを送る。なんという演出でしょうか…。胸が熱くなる展開ですよ。一番グッと来たシーンです。
ただ字幕で観たので、誰の声かわからない。ヨーダしかわからないという事態に。たぶんアナキンやオビワンやもちろんルークも言ってるんだろうなーと想像しながら聞いていました。これ吹き替えで観たいわーと思ったり。
(あとで検索したら思ってたよりキャラが多くて凝っていました)
結局、レイとベンの関係性って
エピソード8、9でレイとベンの並々ならぬ交信シーンを何度も観ていたので、血縁者とかいろいろ想像してしまいましたが、違いましたね。フォースを持つもの同士の絆でしょうか。なんだったのでしょうか…2人の関係性を大事に(尺も長く)描写してきただけに、あれってなったのは否めません。
ともあれ カイロ・レンとベンという超絶難しい役を演じきったアダムが最高な役者であることは間違いないです。これからも応援し続けます。
新三部作のテーマとは
なんだろうか。スターウォーズは家族、血筋、師弟など様々な絆の物語ではあるが、本作は特に「自分の運命は自分で決める」ということが伝わってきた。ような。
フィンがまずエピソード7でストームトルーパーという運命から逃れ、レイたちに導かれた。これが始まりであり、新三部作とはこういうものだ!て言われたような気がしました。
また、レイが最後に名前を聞かれたときに「レイ・スカイウォーカー」といったことも自分の運命は自分で決めるという強い意志の表れのように感じました。ベンのフォースの力によって生き返ったレイなので、スカイウォーカー家のフォースが流れてそう答えた説もあって、そういう解釈もあるのかって。個人的にはレイの師がルークであることからの発した言葉のように感じてます。
本作ではハンソロの悪友、ランド・カルリジアンが再登場してて嬉しかったでしょ。
また16年12月に急逝したキャリー・フィッシャーも、「フォースの覚醒」製作時に撮影されていた未使用だった映像を用いて登場させるという演出は感動ものでした。
ご冥福をお祈り致します。
はぁー完結してしまった。スカイウォーカーの話が終わってしまった。今はただ寂しいです。
映画「スリー・ビルボード」※ネタバレあり
3つのビルボードと3人を取り巻く怒りの行く末とは
あらすじ
米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な3枚の広告看板を設置する。それを快く思わない警察や住民とミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へと転がっていく。
感想
★★★★☆
これ、大人が面白いって思える作品だと思いました。ミステリーでも復讐劇でもない、人間の心の変化を克明に描いたヒューマンドラマでした。思っていた展開と違いましたが、どんどん引き込まれてあっという間にエンディングを迎えました。
淡々と進んでるようで作り込まれている
設定上、主要キャラクターに犯人や悪者がいそうな作りなんですよ。でもいなかった。また、一見主人公と対峙する人が悪者かと思いきや、実はそうではなかった。(まぁそもそも主人公も善人とは言えないけれども)こっちが勝手にミスリードしただけですけど、予告観たらそう思わずにはいられない、完全に作り手に導かれましたね。
サスペンスのようなヒューマンドラマ
昔なら起承転結がはっきりしている映画を好んでみてましたし、学生の頃に観てもこんなに良い評価にはならなかったかなと思います。犯人は誰なのかを探るサスペンスではなかったけど、好きです。
雰囲気や設定は重いけれど、情報量は多くないので結構フラットに観れました。
物語の舞台であるミズーリ州エビングは架空の町ですが、白人差別が残る田舎町といったところでしょうか。
本作では色んな人の怒りが登場します。そしてその怒りや憎しみというフィルターが真実をぼかしてしまうことが大いにあるということ。でもその後お互いを理解しようとするところや、更生する姿が描かれています。一つの事件を通して知る、さまざまな人間模様を丁寧に描いた面白い作品でした。
映画「ジョーカー」※ネタバレあり
本当の悪は笑顔の中にある
あらすじ
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。
感想
★★★★★
どえらいものを見てしまった感。
この映画を観て、演者や演出に関して「良かった」とか「感動した」とか言ってもいいけど、ストーリーに関してそんなことを軽々しく言ってはいけない程の非道徳的なんですわ。
まぁそれは結果論であって、アーサーの立場は本当につらいものがあって共感してしまうし、極限を超えてアーサーがジョーカーになったところは、ああ〜て思っちゃって。
とりあえず、エンドロールをずっと観続けて居られず、終わるギリギリで映画館を後にしました。面白くなかったとか胸糞悪かったとかではなく、心臓が持たなかった。
映画としては最高だと思った。しかしこれに共感も感動もしてしまっては怖いんです。劇団ひとりさんの気持ちめちゃくちゃわかる。
映画上映前からドキドキしたのは久々
終始ドキドキしっぱなしでした。アーサーは心優しくて純粋でいて不器用。不遇が重なり、情緒不安定だし、常に暴走の引き金が漂っていて、いつ爆発するんだろうとみてるこっちも緊迫状態。あの悲しいのに笑ってしまう病がそれを助長させるけれど、あの演技には脱帽ました。
序盤からちょいちょい引き金引いちゃってるけど、精神病院で母親のカルテ見た後から本暴走。気にくわないやつは、拳銃でやっちゃうし、自分の脅威である愛する人たちも自分の手で始末してしまう屈折様。
そしてもう何も失うものはない完全体になったアーサーはジョーカーと化し、自分の主観で悲劇から喜劇に変えた。それが演技にも現れているし、カリスマと言われる
しっかし、喜劇王のチャップリンがこのジョーカーの喜劇を聞いたら腰抜かしますけどね。
ホアキン・フェニッスクの演技はアカデミー
最高でした。この人の演技はヒースレジャーのジョーカーに匹敵する。アーサーの見え隠れする狂気、そしてジョーカーの圧倒的存在感。何が凄いって、アーサーとジョーカーとの振り幅を見事に演じ切ったところ。大胆かつ繊細なんです。
特に階段でジョーカーがステップを踏むシーンとかもう感動しちゃって。かっこよすぎた。ただ歩いてタバコ吹かすだけでもうカリスマがダダ漏れでしたよ。
こんなにも惹きつけられる演技は久々です。ホアキンの演技だけでこの作品には価値がある。
アーサーは妄想癖がある
アーサーの妄想はどこからどこまでなんだろうか?はじめにわかるのがアーサーがフランクリンのショーを見ていて、観客として彼と会話し、舞台に上げてもらうという妄想です。
これは至ってわかりやすい。
それからもう一つ、ガールフレンド(だと思われていた)シングルマザーのソフィーの存在です。一体どうしてこんな可愛らしい人がアーサーと恋人になったのかが理解できませんでした。
が、それも妄想だったという事がわかるシーンでは背筋が凍りましたよ。
そして最後の病院のシーン。
フランクリンを射殺した罪で捕まり、パトカーに乗っていたジョーカーですが、突如トラックが衝突。運転してた集団にパトカーから引っ張り出され、立ち上がって、貧困層達から歓声を受けるジョーカー。次の瞬間病院にいたわけです。
このシーンはどこからが妄想だったのか?
色々考えちゃうけど、単純に幸せなシーンや救いのあるシーンはきっと妄想なんだろうなって。そうしたらやはりこの作品以上にアーサーの人生はつらい。
2回鑑賞しました。1回目はやばいものみた、でしたが、2回目は落ち着いて観れたので純粋にエンターテイメントとして楽しめました。アーサーとジョーカーの狭間をみて、ホアキンに感動したり、ジョーカーの身のこなしに圧倒されたり。そしてやっぱり長い階段でステップを踏むジョーカーはとても魅力的でした。